カテゴリー:営業
author: Masahiko Kato
今も思い出すエピソードがあります。
僕がサラリーマンの店長時代に新入社員さんから教えて頂いたことです。

新入社員のY君はお客様との約束時間を毎回しっかりと守っていました。
実はお客様宅の前には少なくとも余裕を持って10分前には到着していて約束時間ピッタリに「ピンポン」とインターホンを押すわけです。
毎回毎回キッチリと時間を守ってお客様にお会いするY君は徐々にお客様から「信頼」を頂くように変わっていき、ついには契約を頂けるまで至りました。
入社したばかりの営業ですからまだまだ知識は不足しています。
そんな彼がお客様から「契約」を頂いたそのポイントは何かというと、自分がお客様だったらどう思うか、どう考えるかという事でした。
そのためにはお客様にたくさんの質問をするように努めていました。
お客様の話をたくさん聞くようにしていました。
お聴きしたお話はその都度メモを取るようにしました。
お客様から頂いた質問はなるべく早い段階で返事を提示しました。
そんな彼ですからお客様からまたお尋ねもあります。
彼を指名してのお客様も増えてきました。
そうすると彼もお客様にお会いするのが楽しくなってきました。
お客様にメールしたり、ラインで友達になったり、電話したりすることも面白くなってきました。
お客様を意識し、お客様の想いを基盤としてものを考え行動するようにしたことで、お客様から可愛がられるようになり、しいては「契約」もして頂ける住宅営業になったわけです。
そうなるとY君は益々仕事が好きになっていきました。
お客様からの紹介も増え営業成績も右肩上がり、トップ営業の仲間入りもするようになりました。
相乗効果で営業成績が進捗していきました。

自分がお客様だったらどうするかという発想の原点が彼の営業人生を明るく楽しい、いわゆるやる気のある社会人人生にしています。
以外かも知れませんが、ちょっとした発想の転換で仕事が面白くなるものかもしれません。
メンバーを管理するマネージャーやリーダーはそのあたりの気持ちを汲んで、やる気のあるメンバーを作っていきたいものです。
社員さん達がやる気があるのかそうでないのかの原因は彼らを常日頃から管理する上司が原因であることも結構あるのではないかと思えてなりません。
常々うちの社員たちはと嘆く経営トップがいらっしゃいますが、その一番の原因が自分自身にあるということをご存じないということが存在します。

経営トップにとってのお客様は社員さん達です。
この辺りもご存じない社長も時折おられます。
成績がなかなか上がっていかない会社の多くがこんなところに原因があるような気がしてなりません。

僕がサラリーマンの店長時代に新入社員さんから教えて頂いたことです。

新入社員のY君はお客様との約束時間を毎回しっかりと守っていました。
実はお客様宅の前には少なくとも余裕を持って10分前には到着していて約束時間ピッタリに「ピンポン」とインターホンを押すわけです。
毎回毎回キッチリと時間を守ってお客様にお会いするY君は徐々にお客様から「信頼」を頂くように変わっていき、ついには契約を頂けるまで至りました。
入社したばかりの営業ですからまだまだ知識は不足しています。
そんな彼がお客様から「契約」を頂いたそのポイントは何かというと、自分がお客様だったらどう思うか、どう考えるかという事でした。

そのためにはお客様にたくさんの質問をするように努めていました。
お客様の話をたくさん聞くようにしていました。
お聴きしたお話はその都度メモを取るようにしました。
お客様から頂いた質問はなるべく早い段階で返事を提示しました。
そんな彼ですからお客様からまたお尋ねもあります。
彼を指名してのお客様も増えてきました。
そうすると彼もお客様にお会いするのが楽しくなってきました。
お客様にメールしたり、ラインで友達になったり、電話したりすることも面白くなってきました。
お客様を意識し、お客様の想いを基盤としてものを考え行動するようにしたことで、お客様から可愛がられるようになり、しいては「契約」もして頂ける住宅営業になったわけです。
そうなるとY君は益々仕事が好きになっていきました。
お客様からの紹介も増え営業成績も右肩上がり、トップ営業の仲間入りもするようになりました。
相乗効果で営業成績が進捗していきました。

自分がお客様だったらどうするかという発想の原点が彼の営業人生を明るく楽しい、いわゆるやる気のある社会人人生にしています。
以外かも知れませんが、ちょっとした発想の転換で仕事が面白くなるものかもしれません。
メンバーを管理するマネージャーやリーダーはそのあたりの気持ちを汲んで、やる気のあるメンバーを作っていきたいものです。
社員さん達がやる気があるのかそうでないのかの原因は彼らを常日頃から管理する上司が原因であることも結構あるのではないかと思えてなりません。
常々うちの社員たちはと嘆く経営トップがいらっしゃいますが、その一番の原因が自分自身にあるということをご存じないということが存在します。

経営トップにとってのお客様は社員さん達です。
この辺りもご存じない社長も時折おられます。
成績がなかなか上がっていかない会社の多くがこんなところに原因があるような気がしてなりません。

カテゴリー:営業
author: Masahiko Kato
よくスポーツ選手たちが口にするメッセージがあります。
「勝負を楽しみますよ」という言葉です。
確かに勝利するチームの多くはゲームを楽しんでいるようにも見えます。
どうやら楽しめるチームと、そうでないチームの違いが勝利の分岐点かもしれません。

「どうせ努力するなら結果が出るまで頑張ろう」と今も口にしています。
住宅営業でいうなら契約できるまで頑張るという事です。
頑張っても契約に結びつかなければ何にもなりません。
我々の仕事は日々の繰り返しの成果が業績となって現れるものです。
「努力した分だけ結果が返ってくる」営業の世界は平等にできているものであり、「凡事徹底」という言葉がありますが、個人の住宅営業であればお客様にお会いするというという行為を何度も何度も繰り返す中で徐々に成果が見えてくるものです。
成果の出ていない会社はすぐに結果を求めたがりますね。
野菜作りでも当てはまりますが、毎日の地道な努力があってこそ作物が実ります。

最近つくづく営業力の低下を感じています。
これはとても寂しい事ですが、努力もしないですぐに結果を求めたがる人たちが多いですね。
努力をして(大変な思いをして)結果が出るから、そこにやりがいが生まれます。
自分がお客様の立場になった時、どんなことをしてもらったらその会社で(その営業から)家を購入する(住まいを建築する)かをしっかりと考えたいものです。
住宅営業の気持ちを汲むために営業活動を実践してみました。
もちろんコンサルティングの仕事がメインですが、2カ月ほど前から時間を見つけて折衝を重ね、4社ほどの競合もあったのですが営業に同行して「信頼」を頂いて成約に至りました。
結果を申し上げると価格ではないと感じました。
お客様の本音は価値ある物を築きたい(良いものを買いたい)という事でした。
…ですから安いものではなかったのです。
いかにお客様の心を掴むかがポイントだったように振り返ります。

人は知らない人が怖いものです。
どこのだれかわからない人からは住まいを購入しようと思いません。
ですから住宅会社が地域になじんでいるという会社信頼も大切です。
お客様と接していると不思議な事があります。
必ずと言ってよいほどどこかに共通点があるものです。
そういったところからお客様との心の壁が除去されるものですね。
振り返れば新人営業の時の営業スタイルはもっぱら「熱意」でした。
1年目の契約はとにかく契約までの折衝回数が多かったですね。
第1棟目のお客様は確か55回目の商談で成約に至ったと記憶しています。
5年後という予定が折衝を重ねる事によって半年先に変わっていきました。
先輩社員が商談を諦めた顧客名簿ばかりを訪問していましたから、「計画が無い」お方ばかりでした。
救いだったことは「将来は家を考えたい」という人達だったことです。
何度も顔を出すうちに「あなたは熱心だね、計画段階になったら必ず声をかけるね」というお客様が増えてきて、本当に声をおかけくださいました。
住宅営業の神髄、歓び(遣り甲斐)を全身で感じました。

もともと住宅営業は人を幸せにする仕事ですから仕事のやり甲斐はありますね。
インスタントで物が手に入る時代ではありますが、住まいは一生もの、コツコツとお客様宅へ足を運ぶことを実践してほしいものです。
営業の仕事時間とはお客様との商談時間を言います。
会社にいるだけであたかも仕事をしていると感じるかもしれませんが、それは大間違いというものです。
生産性の高い会社ほどお客様との商談を重視していると言えます。

お客様とお会いすることは楽しい事です。
仕事を楽しむ人ほど結果を出しています。
仕事が面白くないうちは結果が出ません。
そのあたりしっかりと意識したいものですね。
「勝負を楽しみますよ」という言葉です。
確かに勝利するチームの多くはゲームを楽しんでいるようにも見えます。
どうやら楽しめるチームと、そうでないチームの違いが勝利の分岐点かもしれません。


「どうせ努力するなら結果が出るまで頑張ろう」と今も口にしています。
住宅営業でいうなら契約できるまで頑張るという事です。
頑張っても契約に結びつかなければ何にもなりません。
我々の仕事は日々の繰り返しの成果が業績となって現れるものです。
「努力した分だけ結果が返ってくる」営業の世界は平等にできているものであり、「凡事徹底」という言葉がありますが、個人の住宅営業であればお客様にお会いするというという行為を何度も何度も繰り返す中で徐々に成果が見えてくるものです。
成果の出ていない会社はすぐに結果を求めたがりますね。
野菜作りでも当てはまりますが、毎日の地道な努力があってこそ作物が実ります。

最近つくづく営業力の低下を感じています。
これはとても寂しい事ですが、努力もしないですぐに結果を求めたがる人たちが多いですね。
努力をして(大変な思いをして)結果が出るから、そこにやりがいが生まれます。
自分がお客様の立場になった時、どんなことをしてもらったらその会社で(その営業から)家を購入する(住まいを建築する)かをしっかりと考えたいものです。
住宅営業の気持ちを汲むために営業活動を実践してみました。
もちろんコンサルティングの仕事がメインですが、2カ月ほど前から時間を見つけて折衝を重ね、4社ほどの競合もあったのですが営業に同行して「信頼」を頂いて成約に至りました。
結果を申し上げると価格ではないと感じました。
お客様の本音は価値ある物を築きたい(良いものを買いたい)という事でした。
…ですから安いものではなかったのです。
いかにお客様の心を掴むかがポイントだったように振り返ります。

人は知らない人が怖いものです。
どこのだれかわからない人からは住まいを購入しようと思いません。
ですから住宅会社が地域になじんでいるという会社信頼も大切です。
お客様と接していると不思議な事があります。
必ずと言ってよいほどどこかに共通点があるものです。
そういったところからお客様との心の壁が除去されるものですね。
振り返れば新人営業の時の営業スタイルはもっぱら「熱意」でした。
1年目の契約はとにかく契約までの折衝回数が多かったですね。
第1棟目のお客様は確か55回目の商談で成約に至ったと記憶しています。
5年後という予定が折衝を重ねる事によって半年先に変わっていきました。
先輩社員が商談を諦めた顧客名簿ばかりを訪問していましたから、「計画が無い」お方ばかりでした。
救いだったことは「将来は家を考えたい」という人達だったことです。
何度も顔を出すうちに「あなたは熱心だね、計画段階になったら必ず声をかけるね」というお客様が増えてきて、本当に声をおかけくださいました。
住宅営業の神髄、歓び(遣り甲斐)を全身で感じました。

もともと住宅営業は人を幸せにする仕事ですから仕事のやり甲斐はありますね。
インスタントで物が手に入る時代ではありますが、住まいは一生もの、コツコツとお客様宅へ足を運ぶことを実践してほしいものです。
営業の仕事時間とはお客様との商談時間を言います。
会社にいるだけであたかも仕事をしていると感じるかもしれませんが、それは大間違いというものです。
生産性の高い会社ほどお客様との商談を重視していると言えます。


お客様とお会いすることは楽しい事です。
仕事を楽しむ人ほど結果を出しています。
仕事が面白くないうちは結果が出ません。
そのあたりしっかりと意識したいものですね。
カテゴリー:営業
author: Masahiko Kato
かつてサラリ―マン時代、直属の部下を120人ほど抱えました。
(現実には派遣社員さんやコーディネーターさんをはじめ、取引業者さんなどを含めると、本当に多くの皆さん方が売上げに協力して頂いたことになります)
年間の売り上げが160億円まであったのですから、ある種当然かもしれません。
全員が席を同じくするのは1年に1回安全大会の時だったと記憶しています。
参加名簿を見せてもらうとなんと863名の方が参加して下さっていました。
こんなに多くの方々が支店の経営に寄与して下さっているのかと感慨深いものがありました。
本来ならば全員の方のお顔やお名前を知っておくと良いのでしょうが、さすがにこれほどは困難で支店の社員さんだけでも大変でした。

僕のいた会社では業績が伸びるにつけ社員を増員するのが常でした。
新入社員として入ってくる方もあれば、他の支店や本社等から異動となって入ってこられる社員さんもありました。
愛知と東京での支店長時代は、本当に社員さん達が頑張ってくださったおかげで売り上げも愛知では年間60億から108億へ、東京では120億から160億へと向上し、仕事は大変ではありましたが充実したサラリーマン人生を送ることが出来ました。
業績がアップしたことは良いのですが、実は言葉で申し上げるのは簡単ですが、実際はいろんな問題が数多く発生もして毎日毎日が大変な状態だったことも事実です。
このブログでも書かせていただいた代表的なものはクレームですが、クレームに対してはある時期からポジティブに捉えて考えるようになっていました。
心の奥底にクレームは期待の声という考え方をするようにもなっていました。
支店の業績が良くなる傍ら、他の支店や本社から入ってくるメンバーの中に数人ですが問題児と称される人たちも存在しました。
どこの支店でもおそらくはそういった対象の人がいるのではと推測します。
そういった人たちを外へ出すことで支店の雰囲気を変えようというところもあったように振り返ります。

東京の支店長時代には設計担当である某社員は支店長の僕の指示に対しても常々反発する人間でした。
支店は支店長の判断で1年の様々な行事を企画し実行します。
僕は会社が販売会社であるという理由から、僕の考え方は全員営業、社員みんながお客様を意識しておもてなしをするという考え方を徹底するようにしていました。
ですから挨拶をしっかりする事や、お客様満足をお客様感動にまで高めるようにしていく事、社員自身が商品だという考え方で日々業務に臨んでいました。
また営業に対して設計や工事等内務社員の同行も積極的に実行するようお願いしていました。
新しく私達の支店に入ってきた某社員さんはその方針に反発が大きく、よく本社に対して投書をされておられたようです。

時には直接「こうやるべきではないか」と直訴もしてこられました。
当初は耳を傾けていた僕も、ある時その社員さんを叱りました。
どうやらその社員さんはその後も本社人事部に「我が支店の問題点」と称して、僕への批判を繰り返していた様子でした。
組織が組織としてその強みを発揮しようとするならば、その組織のトップは自分の組織をけん引していく為には勇気をもって時として叱る勇気を持つ必要があると思っています。
当時僕の支店は業績面で契約・売上・営業利益・目標利益達成率・顧客満足で全国の範ともなり、よく全国の支店に対して事例発表もしていました。
私達の日常がビデオ化され全国の支店に配布もされていました。
売り上げのみならず、エリア内でのシェアも向上し社員の殆どがそういった意識を持ち、いい意味でのプライドを持って気持ちよく仕事に勤しんでいました。
又取引業者さん達も支店の好業績の関係で順調に会社経営もしておられました。
まだまだ高い業績の夢はありましたが自分としては充実した日々の連続が嬉しい限りでした。
そんな時、組織にヒビが入るような行動に対しては許せなくて「叱る」という行為に出たわけです。
全国のいろんな会社に足を運んで、その実情をこの目で見させて頂きます。
又僕自身もまた顧問として社員さん達の指導や研修もさせて頂きます。
稀にではありますが組織の一員になり切れてない問題児に遭遇する事があります。
時代が変化して、コンプライアンスが大きくクローズアップされてきています。
そういった状況で「叱る」という行為そのものがタブー化されるような感覚に陥る事があります。
「叱る」事が、あたかもハラッシュメントをしている様な感覚になってしまい、その場のムードを変えてしまって突如として暗いイメージになってしまう事もあります。

…ですがここは何とか乗り越えたいところですね。
もっと社員が意識を高めていくように、大人の組織になっていく為には、そして強い組織になって業績向上に繋げていく為に、リーダーやマネージャーは「叱る」勇気を持っていただきたいと願います。
巨視的な眼で見ると昨今日本が弱くなっている感があります。
GDPもドイツにも抜かれてしまうようです。
オーバーコンプライアンスの影響でしょうか「加点主義」が評価されず「減点主義」がはびこっています。
「出る釘が打たれる」といった状況が良く見られます。
かつて僕は上司から「積極的な失敗を知ろ!」と言われ育ちました。
失敗もあったわけで、お叱りも受けましたが寛大な眼で見て下さる上司のもとで営業を学び、成長させていただきました。

「叱る」ことは相手のためを願う為の動作で「怒る」という自分のために言うものとは全くその質は違います。
人口減少や2024年問題、人が不足していく状況は避けられませんが、と言って「叱る」事を避けて通るのは望ましくはないでしょう。
「叱る」ことはその人のためであり、何よりも組織のためでもあるわけですから・・・。
時として勘違いもされるかもしれませんが、リーダーは愛情を持ってメンバーを育てる義務があるように思えてなりません。
どうか「叱る」勇気を忘れないようにしましょう!!

(現実には派遣社員さんやコーディネーターさんをはじめ、取引業者さんなどを含めると、本当に多くの皆さん方が売上げに協力して頂いたことになります)
年間の売り上げが160億円まであったのですから、ある種当然かもしれません。
全員が席を同じくするのは1年に1回安全大会の時だったと記憶しています。
参加名簿を見せてもらうとなんと863名の方が参加して下さっていました。
こんなに多くの方々が支店の経営に寄与して下さっているのかと感慨深いものがありました。
本来ならば全員の方のお顔やお名前を知っておくと良いのでしょうが、さすがにこれほどは困難で支店の社員さんだけでも大変でした。

僕のいた会社では業績が伸びるにつけ社員を増員するのが常でした。
新入社員として入ってくる方もあれば、他の支店や本社等から異動となって入ってこられる社員さんもありました。
愛知と東京での支店長時代は、本当に社員さん達が頑張ってくださったおかげで売り上げも愛知では年間60億から108億へ、東京では120億から160億へと向上し、仕事は大変ではありましたが充実したサラリーマン人生を送ることが出来ました。
業績がアップしたことは良いのですが、実は言葉で申し上げるのは簡単ですが、実際はいろんな問題が数多く発生もして毎日毎日が大変な状態だったことも事実です。
このブログでも書かせていただいた代表的なものはクレームですが、クレームに対してはある時期からポジティブに捉えて考えるようになっていました。
心の奥底にクレームは期待の声という考え方をするようにもなっていました。
支店の業績が良くなる傍ら、他の支店や本社から入ってくるメンバーの中に数人ですが問題児と称される人たちも存在しました。
どこの支店でもおそらくはそういった対象の人がいるのではと推測します。
そういった人たちを外へ出すことで支店の雰囲気を変えようというところもあったように振り返ります。

東京の支店長時代には設計担当である某社員は支店長の僕の指示に対しても常々反発する人間でした。
支店は支店長の判断で1年の様々な行事を企画し実行します。
僕は会社が販売会社であるという理由から、僕の考え方は全員営業、社員みんながお客様を意識しておもてなしをするという考え方を徹底するようにしていました。
ですから挨拶をしっかりする事や、お客様満足をお客様感動にまで高めるようにしていく事、社員自身が商品だという考え方で日々業務に臨んでいました。
また営業に対して設計や工事等内務社員の同行も積極的に実行するようお願いしていました。
新しく私達の支店に入ってきた某社員さんはその方針に反発が大きく、よく本社に対して投書をされておられたようです。


時には直接「こうやるべきではないか」と直訴もしてこられました。
当初は耳を傾けていた僕も、ある時その社員さんを叱りました。
どうやらその社員さんはその後も本社人事部に「我が支店の問題点」と称して、僕への批判を繰り返していた様子でした。
組織が組織としてその強みを発揮しようとするならば、その組織のトップは自分の組織をけん引していく為には勇気をもって時として叱る勇気を持つ必要があると思っています。
当時僕の支店は業績面で契約・売上・営業利益・目標利益達成率・顧客満足で全国の範ともなり、よく全国の支店に対して事例発表もしていました。
私達の日常がビデオ化され全国の支店に配布もされていました。
売り上げのみならず、エリア内でのシェアも向上し社員の殆どがそういった意識を持ち、いい意味でのプライドを持って気持ちよく仕事に勤しんでいました。
又取引業者さん達も支店の好業績の関係で順調に会社経営もしておられました。
まだまだ高い業績の夢はありましたが自分としては充実した日々の連続が嬉しい限りでした。
そんな時、組織にヒビが入るような行動に対しては許せなくて「叱る」という行為に出たわけです。
全国のいろんな会社に足を運んで、その実情をこの目で見させて頂きます。
又僕自身もまた顧問として社員さん達の指導や研修もさせて頂きます。
稀にではありますが組織の一員になり切れてない問題児に遭遇する事があります。
時代が変化して、コンプライアンスが大きくクローズアップされてきています。
そういった状況で「叱る」という行為そのものがタブー化されるような感覚に陥る事があります。
「叱る」事が、あたかもハラッシュメントをしている様な感覚になってしまい、その場のムードを変えてしまって突如として暗いイメージになってしまう事もあります。

…ですがここは何とか乗り越えたいところですね。
もっと社員が意識を高めていくように、大人の組織になっていく為には、そして強い組織になって業績向上に繋げていく為に、リーダーやマネージャーは「叱る」勇気を持っていただきたいと願います。
巨視的な眼で見ると昨今日本が弱くなっている感があります。
GDPもドイツにも抜かれてしまうようです。
オーバーコンプライアンスの影響でしょうか「加点主義」が評価されず「減点主義」がはびこっています。
「出る釘が打たれる」といった状況が良く見られます。
かつて僕は上司から「積極的な失敗を知ろ!」と言われ育ちました。
失敗もあったわけで、お叱りも受けましたが寛大な眼で見て下さる上司のもとで営業を学び、成長させていただきました。

「叱る」ことは相手のためを願う為の動作で「怒る」という自分のために言うものとは全くその質は違います。
人口減少や2024年問題、人が不足していく状況は避けられませんが、と言って「叱る」事を避けて通るのは望ましくはないでしょう。
「叱る」ことはその人のためであり、何よりも組織のためでもあるわけですから・・・。
時として勘違いもされるかもしれませんが、リーダーは愛情を持ってメンバーを育てる義務があるように思えてなりません。
どうか「叱る」勇気を忘れないようにしましょう!!

カテゴリー:自由
author: Masahiko Kato
高校1年生の時友人に誘われて初めて旅に出ました。
男4人の静岡への1泊2日の旅でした。
この時初めて新幹線こだまに乗った記憶があります。
家族旅行は別として、この時が個人的な旅のスタートでした。

高校2年の春、クラスメイトM君と2人で春休み15日間を利用し九州一周の旅に出かけました。
クラスメイトの親戚が長埼・平戸にあって、そのお宅に宿泊させてもらって、その後は一人ずつになって最終日に北九州で一緒になって帰ってきました。
九州までは超満員の鈍行列車に揺られて、平戸から佐世保へ船に乗り、その後はもっぱらヒッチハイクの旅、学校やお寺、公園や駅などをお借りしてシュラフで寝ました。
往復の切符と少しばかりのお金を持っていましたが、ほとんど文無し、若くて健康ですから当時は怖いものなしでした。
背中に背負ったリュックの中には固形燃料やインスタントの食料がありました。

旅の途中にはサプライズもあるものです。
宮崎・青島では高校1年時の担任の先生が新婚旅行中でばったりと遭遇しました。
鹿児島の指宿では入った銭湯がなんと混浴でびっくりしました。
親には心配かけたかもしれませんが、義務教育でないのに甘えて高校時代はとにかくよく学校を休みました。
何とか落第は逃れたものの、始めて通知表に1という評価を頂いたのはこのころです。
とにかく勉強しなかったものですから・・・。
そして高校2年以降は1週間以内の短い旅を何度か経験しました。
その全てがヒッチハイクと無銭旅行でした。
高校卒業後は社会人となって働き、社会人・浪人を経て2年後に大学に入ったことも旅でした。
また中央大を経て弁護士の夢に挫折経験し、2年次から法政大に編入したのもある意味旅だったかもしれません。
就職困難な時期でマスコミの夢を断ち切ったのも今となってはよい経験でした。
高校の文化祭に『旅のエッセイ』という文集を出典しました。
そしてその中に「自分は将来旅を日常化したい、それが夢」と書かせて頂きました。
新婚旅行が僕にとって初めての海外旅行でした。(行先はギリシャでした)
目を患いアテネで病院へ行った想い出があります。
1973年までは、1ドルが360円の時代で海外の旅は高価なものでした。
その後は家族で、また会社の旅行で随分と国内外の各地を旅行させていただきました。

サラリーマン生活を終え住宅会社の顧問を中心とした生活をさせて頂いています。
独立して19年経過しました。
有難いことに沖縄を除く46の都道府県で仕事の御縁をもらいました。
北海道も丸2年間、毎月2回の仕事をこなしました。
全国各地に多くの貴重な財産となる思い出が作れました。
そして、お陰様でたくさんの感動を味わうこともできました。
コロナ禍になる前の10年間は年間にホテル宿泊が150泊という日々を送りました。
まさに「旅を日常化する」自己実現だったように思います。
かつて母親に言われました。
「あなたは放浪癖があるね」と。
何でも父方の祖先(父親の曽祖父)が虚無僧となって家を出て帰らなかったそうです。
そんな血が身体を流れているのかもしれません。
コロナを起点として仕事量は減ってはいますが、まだまだ旅は継続中です。
忙しさがなくなり、自由な時間が増えました。
かえって良かったのではと思ってもいます。
1年前の腰の手術以来、週2日のリハビリが続いています。
こうやってこのホームページ上でのブログも2004年から2500回を超えてきています。
心の旅が続いています。
旅を経験するたびに世界は狭いとつくづく感じています。
私達が住む日本はというと飛行機で飛べばたったの2時間、小さな国です。
戦争なんかやればすぐにでも壊れてしまうでしょう。

地球温暖化で異常気象が続いています。
今迄例を見ない火災や台風、地震も起きてきています。
環境問題が深刻化してきています。
地球規模で将来を考えなくてはいけない時代に、絶対にあってはいけない戦争が現実化しています。(悲しい事実です)
そこは破壊の世界です。
住宅建設の仕事は建設的な仕事です。
住宅建設の仕事は人を幸せにする仕事です。
平和な生活を建設しようとする素晴らしい仕事です。
こういった仕事に就かせていただいたことに感謝しながら、もう少し旅を続けていきたく思っています。

今もなお、毎日が学びの連続です。
手術で少し不自由になった身体と戦いながらも、住宅建設に情熱を持ち続ける仲間と一緒に毎日を旅していきたいと望んでいます。
男4人の静岡への1泊2日の旅でした。
この時初めて新幹線こだまに乗った記憶があります。
家族旅行は別として、この時が個人的な旅のスタートでした。

高校2年の春、クラスメイトM君と2人で春休み15日間を利用し九州一周の旅に出かけました。
クラスメイトの親戚が長埼・平戸にあって、そのお宅に宿泊させてもらって、その後は一人ずつになって最終日に北九州で一緒になって帰ってきました。
九州までは超満員の鈍行列車に揺られて、平戸から佐世保へ船に乗り、その後はもっぱらヒッチハイクの旅、学校やお寺、公園や駅などをお借りしてシュラフで寝ました。
往復の切符と少しばかりのお金を持っていましたが、ほとんど文無し、若くて健康ですから当時は怖いものなしでした。
背中に背負ったリュックの中には固形燃料やインスタントの食料がありました。

旅の途中にはサプライズもあるものです。
宮崎・青島では高校1年時の担任の先生が新婚旅行中でばったりと遭遇しました。
鹿児島の指宿では入った銭湯がなんと混浴でびっくりしました。
親には心配かけたかもしれませんが、義務教育でないのに甘えて高校時代はとにかくよく学校を休みました。
何とか落第は逃れたものの、始めて通知表に1という評価を頂いたのはこのころです。
とにかく勉強しなかったものですから・・・。
そして高校2年以降は1週間以内の短い旅を何度か経験しました。
その全てがヒッチハイクと無銭旅行でした。
高校卒業後は社会人となって働き、社会人・浪人を経て2年後に大学に入ったことも旅でした。
また中央大を経て弁護士の夢に挫折経験し、2年次から法政大に編入したのもある意味旅だったかもしれません。
就職困難な時期でマスコミの夢を断ち切ったのも今となってはよい経験でした。
高校の文化祭に『旅のエッセイ』という文集を出典しました。
そしてその中に「自分は将来旅を日常化したい、それが夢」と書かせて頂きました。
新婚旅行が僕にとって初めての海外旅行でした。(行先はギリシャでした)
目を患いアテネで病院へ行った想い出があります。
1973年までは、1ドルが360円の時代で海外の旅は高価なものでした。
その後は家族で、また会社の旅行で随分と国内外の各地を旅行させていただきました。


サラリーマン生活を終え住宅会社の顧問を中心とした生活をさせて頂いています。
独立して19年経過しました。
有難いことに沖縄を除く46の都道府県で仕事の御縁をもらいました。
北海道も丸2年間、毎月2回の仕事をこなしました。
全国各地に多くの貴重な財産となる思い出が作れました。
そして、お陰様でたくさんの感動を味わうこともできました。
コロナ禍になる前の10年間は年間にホテル宿泊が150泊という日々を送りました。
まさに「旅を日常化する」自己実現だったように思います。
かつて母親に言われました。
「あなたは放浪癖があるね」と。
何でも父方の祖先(父親の曽祖父)が虚無僧となって家を出て帰らなかったそうです。
そんな血が身体を流れているのかもしれません。
コロナを起点として仕事量は減ってはいますが、まだまだ旅は継続中です。
忙しさがなくなり、自由な時間が増えました。
かえって良かったのではと思ってもいます。
1年前の腰の手術以来、週2日のリハビリが続いています。
こうやってこのホームページ上でのブログも2004年から2500回を超えてきています。
心の旅が続いています。
旅を経験するたびに世界は狭いとつくづく感じています。
私達が住む日本はというと飛行機で飛べばたったの2時間、小さな国です。
戦争なんかやればすぐにでも壊れてしまうでしょう。


地球温暖化で異常気象が続いています。
今迄例を見ない火災や台風、地震も起きてきています。
環境問題が深刻化してきています。
地球規模で将来を考えなくてはいけない時代に、絶対にあってはいけない戦争が現実化しています。(悲しい事実です)
そこは破壊の世界です。
住宅建設の仕事は建設的な仕事です。
住宅建設の仕事は人を幸せにする仕事です。
平和な生活を建設しようとする素晴らしい仕事です。
こういった仕事に就かせていただいたことに感謝しながら、もう少し旅を続けていきたく思っています。

今もなお、毎日が学びの連続です。
手術で少し不自由になった身体と戦いながらも、住宅建設に情熱を持ち続ける仲間と一緒に毎日を旅していきたいと望んでいます。
カテゴリー:営業
author: Masahiko Kato
このブログを書いているちょうど今日本シリーズ第7戦が行われています。
戦前から今回のシリーズは接戦になるとの予想でした。
中盤5回を終わって6対0、タイガースがリードしている状況です。
関西勢通しの戦い、第7戦はオリックスの本拠地京セラドーム大阪なのですが、さながらここが甲子園であるような雰囲気になっています。

阪神のファンが盛り上がるたびに歌われる歌が「六甲おろし」
♪六甲おろしに颯爽と、蒼天かける日輪の・・・フレーフレッフレッフレー
不思議ですがこういった歌は否応なく戦う選手のモチベーション・アップに影響するように思われます。
プロ野球12球団のうち、特に阪神はチームとファンが一体化している感があります。
阪神というチームは圧倒的な人気がありながら、日本シリーズで優勝したことは1985年の1回きり、それでいて熱いファンが多い事に何か特別なものを感じます。
ちなみに僕はプロ野球で特別に贔屓している球団はありません。
申し訳ないのですが地元中日でもなく、巨人でもありません。
但しスポーツ観戦は大好きです。
こと野球に関しては大学野球、高校野球の熱狂的ファンではありますがプロ野球は個人的に好きな選手はいますが球団のファンではありません。
阪神ファンの方々を見るにつけそのチーム愛を羨ましいと思うことがあります。

時々会社を野球チームに例える事があります。
いろんな会社に顔を出す度に「皆さん方の会社は組織になっていますか?」と質問をさせてもらうことがあります。
返ってくる答えは「もちろんですよ」と答えられる会社はごく一部で「まだまだ組織になり切ってはいません」という会社がほとんどです。
「組織」と「集合体」の違いは何ですか?
そもそも「組織」とはどういう意味ですか?
…などとお聞きする事もあります。
中々すぐには答が出ないのですが・・・。
「組織」とはそこに集う人たちが同じ目的を持ち、その目的に対してお互いに協力しながら目的を達成しようとする集団を指すと思います。
ご存じの様に 野球は「チーム」です。
決してグループでありません。
そしてチームは「組織」であると言って間違いありません。

かつてサラリーマン時代、社員全員が集まった折に決まって歌う歌がありました。
あの加山雄三さんと谷村新司さんの共同作品「サライ」でした。
みんなが肩を組み腕を取りあの長い歌を合唱しました。
そこにはみんなが一つになっている一体感がありました。
みんなが仲間だという連帯意識がありました。
だからこそ業績もよかったのではなかったと思います。
何か今聞こえてくる「六甲おろし」があの時の「サライ」とダブります。
顧問先やセミナー先、研修先の企業の多くが問題点を持っています。
課題があるからこそ研修も行われると言ってよいかもしれません。
「集合体」を「組織」に変えていく、「グループ」を「チーム」に変化させていく、そんな努力を自分なりに実行しているつもりです。
「集合体」が「組織」に形を変えた時、社員のやる気が喚起され、生産性が上がっていくと信じてやみません。

どうやら阪神タイガーズが日本一を決めたようです。
阪神ファンの皆さん、「おめでとうございます」
素晴らしい活躍でした。
本当に強いチームでした。
今年の12球団のうち阪神タイガーズが一番監督を始め選手たちの塊度が強かったのではないでしょうか?
もちろん岡田監督の采配もさることながら、「個」よりも「チーム」を重んじた「組織」としての力を発揮していたように思われてなりません。
戦前から今回のシリーズは接戦になるとの予想でした。
中盤5回を終わって6対0、タイガースがリードしている状況です。
関西勢通しの戦い、第7戦はオリックスの本拠地京セラドーム大阪なのですが、さながらここが甲子園であるような雰囲気になっています。


阪神のファンが盛り上がるたびに歌われる歌が「六甲おろし」
♪六甲おろしに颯爽と、蒼天かける日輪の・・・フレーフレッフレッフレー
不思議ですがこういった歌は否応なく戦う選手のモチベーション・アップに影響するように思われます。
プロ野球12球団のうち、特に阪神はチームとファンが一体化している感があります。
阪神というチームは圧倒的な人気がありながら、日本シリーズで優勝したことは1985年の1回きり、それでいて熱いファンが多い事に何か特別なものを感じます。
ちなみに僕はプロ野球で特別に贔屓している球団はありません。
申し訳ないのですが地元中日でもなく、巨人でもありません。
但しスポーツ観戦は大好きです。
こと野球に関しては大学野球、高校野球の熱狂的ファンではありますがプロ野球は個人的に好きな選手はいますが球団のファンではありません。
阪神ファンの方々を見るにつけそのチーム愛を羨ましいと思うことがあります。

時々会社を野球チームに例える事があります。
いろんな会社に顔を出す度に「皆さん方の会社は組織になっていますか?」と質問をさせてもらうことがあります。
返ってくる答えは「もちろんですよ」と答えられる会社はごく一部で「まだまだ組織になり切ってはいません」という会社がほとんどです。
「組織」と「集合体」の違いは何ですか?
そもそも「組織」とはどういう意味ですか?
…などとお聞きする事もあります。
中々すぐには答が出ないのですが・・・。
「組織」とはそこに集う人たちが同じ目的を持ち、その目的に対してお互いに協力しながら目的を達成しようとする集団を指すと思います。
ご存じの様に 野球は「チーム」です。
決してグループでありません。
そしてチームは「組織」であると言って間違いありません。


かつてサラリーマン時代、社員全員が集まった折に決まって歌う歌がありました。
あの加山雄三さんと谷村新司さんの共同作品「サライ」でした。
みんなが肩を組み腕を取りあの長い歌を合唱しました。
そこにはみんなが一つになっている一体感がありました。
みんなが仲間だという連帯意識がありました。
だからこそ業績もよかったのではなかったと思います。
何か今聞こえてくる「六甲おろし」があの時の「サライ」とダブります。
顧問先やセミナー先、研修先の企業の多くが問題点を持っています。
課題があるからこそ研修も行われると言ってよいかもしれません。
「集合体」を「組織」に変えていく、「グループ」を「チーム」に変化させていく、そんな努力を自分なりに実行しているつもりです。
「集合体」が「組織」に形を変えた時、社員のやる気が喚起され、生産性が上がっていくと信じてやみません。


どうやら阪神タイガーズが日本一を決めたようです。
阪神ファンの皆さん、「おめでとうございます」
素晴らしい活躍でした。
本当に強いチームでした。
今年の12球団のうち阪神タイガーズが一番監督を始め選手たちの塊度が強かったのではないでしょうか?
もちろん岡田監督の采配もさることながら、「個」よりも「チーム」を重んじた「組織」としての力を発揮していたように思われてなりません。
カテゴリー:営業
author: Masahiko Kato
仕事柄有難いことに色々な人とお会いする機会を得ます。
僕の場合は特に住宅会社のトップとお会いすることが多かったと振り返ります。
そういった中で感じる事があったのが人としての器の問題でした。
住宅会社も住宅メーカーに代表される大きな住宅会社もあり、数人で経営してらっしゃる個人事業主に近い社長もおられます。
そういった中で「この社長は違うなぁ、器が大きい」と感じた社長もおられました。

最近読んだ書の中でかつて伊藤忠商事の社長を経験され、その後中国特命大使や日中友好協会の会長も歴任された丹羽宇一郎氏の「人間の器」があります。
その中には・・・人間としてどれだけ心を成長させられるか?
・人間としての責任を果たす
・いかに自分を律するか
・自発的でなければ大事なことは身につかない
・トラブルを自分磨きの手段にする
・「眼には見えないけれど存在するもの」があると自覚する
等が書かれてありました。
一般に会社で自分の置かれた位置が高くなればなるほどに、ここで言われる「心の器」が大きくなることが求められるように感じています。

かつて自分自身が役員である上司に対してさすがと感心する出来事もありました。
僕が支店長時代、重要な人事をお願いする為に役員のもとを訪ねたことがありました。
社内的にも僕の要望が通れば社内では初めての事で、通例であれば到底無理な依頼を上司に対して打診したのですが、案の定上司の意見は明確でした。
「バカヤロー、そんな事例は一度もない、帰れ!」と一蹴されました。
(今の時代ではこんな言い方はないでしょうが、当時はこんな言い方が当たり前でした)
若い社員を抜擢する人事の困難さを味わいがっくりとうなだれて上司のもとを去った記憶があります。
年功序列人事がまかり取る時代で僕の要望は無理と言われてもしょうがないものでした。
ところが、自分の中ではどうしてもこの人事を通してもらいたいという気持ちが強くなるばかり、再度上司である役員のもとへ顔を出しました。
こわごわと・・・例の件ですが・・・と切り出した矢先、
「わかった、好きにしろ」と意外な返事が返ってきました。
結果としてこの抜擢人事は大成功、後に上司からも「お前の言うことを聞いておいてよかった、ありがとう」と言われました。
ある種身体を張って進言した自分も勇気が必要でしたが、上司の器を知ったときでもありました。
上司は私の本気度をおそらくは計ったのでしょう。
そしてこの人事で抜擢された社員が期待に応えてくれました。
素晴らしい結果を出して業績向上に大きく寄与してくれました。
年間120億円以上の売り上げをする支店長となって僕もまた人間的に成長できたのではと振り返ります。
巨視的なものの見方が出来るような方向に変化していったようにも思います。

関与する会社の中にもいろんな人間関係が見て取れます。
最近も感じる事がありました。
一営業として素晴らしい業績を上げた社員が、立場が変わってマネジメントを任されメンバーを引き連れた形になったとたんにいきなり厳しいだけの上司になったりしてチームの生産性が落ちていく場合もあります。

率先垂範で自分から先頭に立って組織をけん引する管理者になってこそ業績は上がってくるものです。
上へ行くほどに自分の仕事量も増やしていくという姿勢
メンバーに任せてみるという対応
人間の器はこんなところに表れてくるものと思われます。
僕の場合は特に住宅会社のトップとお会いすることが多かったと振り返ります。
そういった中で感じる事があったのが人としての器の問題でした。
住宅会社も住宅メーカーに代表される大きな住宅会社もあり、数人で経営してらっしゃる個人事業主に近い社長もおられます。
そういった中で「この社長は違うなぁ、器が大きい」と感じた社長もおられました。


最近読んだ書の中でかつて伊藤忠商事の社長を経験され、その後中国特命大使や日中友好協会の会長も歴任された丹羽宇一郎氏の「人間の器」があります。
その中には・・・人間としてどれだけ心を成長させられるか?
・人間としての責任を果たす
・いかに自分を律するか
・自発的でなければ大事なことは身につかない
・トラブルを自分磨きの手段にする
・「眼には見えないけれど存在するもの」があると自覚する
等が書かれてありました。
一般に会社で自分の置かれた位置が高くなればなるほどに、ここで言われる「心の器」が大きくなることが求められるように感じています。

かつて自分自身が役員である上司に対してさすがと感心する出来事もありました。
僕が支店長時代、重要な人事をお願いする為に役員のもとを訪ねたことがありました。
社内的にも僕の要望が通れば社内では初めての事で、通例であれば到底無理な依頼を上司に対して打診したのですが、案の定上司の意見は明確でした。
「バカヤロー、そんな事例は一度もない、帰れ!」と一蹴されました。
(今の時代ではこんな言い方はないでしょうが、当時はこんな言い方が当たり前でした)
若い社員を抜擢する人事の困難さを味わいがっくりとうなだれて上司のもとを去った記憶があります。
年功序列人事がまかり取る時代で僕の要望は無理と言われてもしょうがないものでした。
ところが、自分の中ではどうしてもこの人事を通してもらいたいという気持ちが強くなるばかり、再度上司である役員のもとへ顔を出しました。
こわごわと・・・例の件ですが・・・と切り出した矢先、
「わかった、好きにしろ」と意外な返事が返ってきました。
結果としてこの抜擢人事は大成功、後に上司からも「お前の言うことを聞いておいてよかった、ありがとう」と言われました。
ある種身体を張って進言した自分も勇気が必要でしたが、上司の器を知ったときでもありました。
上司は私の本気度をおそらくは計ったのでしょう。
そしてこの人事で抜擢された社員が期待に応えてくれました。
素晴らしい結果を出して業績向上に大きく寄与してくれました。
年間120億円以上の売り上げをする支店長となって僕もまた人間的に成長できたのではと振り返ります。
巨視的なものの見方が出来るような方向に変化していったようにも思います。

関与する会社の中にもいろんな人間関係が見て取れます。
最近も感じる事がありました。
一営業として素晴らしい業績を上げた社員が、立場が変わってマネジメントを任されメンバーを引き連れた形になったとたんにいきなり厳しいだけの上司になったりしてチームの生産性が落ちていく場合もあります。

率先垂範で自分から先頭に立って組織をけん引する管理者になってこそ業績は上がってくるものです。
上へ行くほどに自分の仕事量も増やしていくという姿勢
メンバーに任せてみるという対応
人間の器はこんなところに表れてくるものと思われます。
カテゴリー:接客/サービス
author: Masahiko Kato
10月というと思いつくイベントはハロウィンでしょうか。
かつてから日本人はいろんなイベントを柔軟に取り入れているような気がします。
例えば古くはバレンタインディ、ホワイトディ、恵方巻、そしてハロウィン・・・・。
これらのイベントは商業ベースにも乗って知らず知らずのうちに私達の日常となってきました。
多くの人は日常の中でこういったイベントを楽しんでもいるようです。

さて僕の顧問会社でも2つの会社が今月末にハロウィンをモチーフにしたイベントを企画しています。
よくこういったイベントに関して意見を聞かれたり、またチラシのデザインなど手直ししたり、参考資料をお見せもしたりします。
そしてまたどうしたら来場者が増えるのかも聞かれます。
そういった質問にはかつての経験が参考になります。
会社顧問として随分と数多くの住宅会社のイベントを成功させてきました。
こういったノウハウは皆サラリーマン時代に培ったものばかりです。
その代表例が「住まいの参観日」かも知れませんね。
当時、ビッグカンパニーの積水ハウスでさえイベントの企画や立案をする部所がありませんでした。
会社からは営業自身で色々と考えろ、そして実行しろと言われました。
つまりは営業をしている人間が、一番お客様の気持ちもわかっているはずで、どんなことを実行したらお客様が歓び、来場もしてくれるのか考えなさいというものでした。
特に営業のマネージャーで最前線にいる数人のメンバー(僕も含む)たちが、とにかく多忙でしたが、幸いにして会社の費用を使わせてもらえることから、顧客目線を考慮して数多くのイベントを考え実行しました。
費用対効果ももちろん考えました。
そしてそれらの多くが成功裡に実行できたのです。
その時のエッセンスは簡単でした。
「ワーー」という感嘆の声が聞こえるイベント
「凄ーい」とため息が漏れるもの
「嬉しーい」と感謝されるもの‥‥でした。
その様に来場されるお客様に受け取ってもらえるように工夫をしたのです。
人は感情の動物です。
人間は五感に敏感です。
感性にアピールする事を重要視しました。
そのためには我々がまず楽しめるものを実行しようということになりました。
自分たちが楽しい、面白い、嬉しいと感じるイベントを実行すればお客様もきっと喜んでくださるに違いないという事です。

言葉で書くと簡単ですが、実際は大変でした。
やり慣れていない事は実は大変なのです。
慣れてしまえば案外簡単です。
仲間がいて、もっと営業活動を上手く展開したいという願いもあって、そして何よりも多くのお客様に喜んでいただきたい、楽しんでもらいたい、もっと言えば感動を届けたいという気持ちがあってこそできたのではと振り返ります。
サラリーマン時代には数多くの歓びがあります。
それは大変だったからこそ、それを乗り越えた後の歓喜に浸れたのだと考えます。
人は意外かもしれませんが、平等にできている部分もあります。
それは「苦労した分だけは、歓ぶことが出来る」という事です。
それは単純にスポーツの世界でよく観察できます。
経験もできます。

仕事を楽しんでいる社員さん達が多い会社が勝っていると言えます。
苦労もあるでしょうが、それを乗り切っての歓喜をぜひ味わいたいものです。
かつてから日本人はいろんなイベントを柔軟に取り入れているような気がします。
例えば古くはバレンタインディ、ホワイトディ、恵方巻、そしてハロウィン・・・・。
これらのイベントは商業ベースにも乗って知らず知らずのうちに私達の日常となってきました。
多くの人は日常の中でこういったイベントを楽しんでもいるようです。


さて僕の顧問会社でも2つの会社が今月末にハロウィンをモチーフにしたイベントを企画しています。
よくこういったイベントに関して意見を聞かれたり、またチラシのデザインなど手直ししたり、参考資料をお見せもしたりします。
そしてまたどうしたら来場者が増えるのかも聞かれます。
そういった質問にはかつての経験が参考になります。
会社顧問として随分と数多くの住宅会社のイベントを成功させてきました。
こういったノウハウは皆サラリーマン時代に培ったものばかりです。
その代表例が「住まいの参観日」かも知れませんね。
当時、ビッグカンパニーの積水ハウスでさえイベントの企画や立案をする部所がありませんでした。
会社からは営業自身で色々と考えろ、そして実行しろと言われました。
つまりは営業をしている人間が、一番お客様の気持ちもわかっているはずで、どんなことを実行したらお客様が歓び、来場もしてくれるのか考えなさいというものでした。
特に営業のマネージャーで最前線にいる数人のメンバー(僕も含む)たちが、とにかく多忙でしたが、幸いにして会社の費用を使わせてもらえることから、顧客目線を考慮して数多くのイベントを考え実行しました。
費用対効果ももちろん考えました。
そしてそれらの多くが成功裡に実行できたのです。
その時のエッセンスは簡単でした。
「ワーー」という感嘆の声が聞こえるイベント
「凄ーい」とため息が漏れるもの
「嬉しーい」と感謝されるもの‥‥でした。
その様に来場されるお客様に受け取ってもらえるように工夫をしたのです。
人は感情の動物です。
人間は五感に敏感です。
感性にアピールする事を重要視しました。
そのためには我々がまず楽しめるものを実行しようということになりました。
自分たちが楽しい、面白い、嬉しいと感じるイベントを実行すればお客様もきっと喜んでくださるに違いないという事です。

言葉で書くと簡単ですが、実際は大変でした。
やり慣れていない事は実は大変なのです。
慣れてしまえば案外簡単です。
仲間がいて、もっと営業活動を上手く展開したいという願いもあって、そして何よりも多くのお客様に喜んでいただきたい、楽しんでもらいたい、もっと言えば感動を届けたいという気持ちがあってこそできたのではと振り返ります。
サラリーマン時代には数多くの歓びがあります。
それは大変だったからこそ、それを乗り越えた後の歓喜に浸れたのだと考えます。
人は意外かもしれませんが、平等にできている部分もあります。
それは「苦労した分だけは、歓ぶことが出来る」という事です。
それは単純にスポーツの世界でよく観察できます。
経験もできます。

仕事を楽しんでいる社員さん達が多い会社が勝っていると言えます。
苦労もあるでしょうが、それを乗り切っての歓喜をぜひ味わいたいものです。
カテゴリー:営業
author: Masahiko Kato
もともと住宅業界は地域と共に生きてきた産業です。
あの建築会社は親戚にあたるから…とか、あの工務店はずっとこの地域で家づくりをしているから…といったように。
そこでの重要なポイントは「信頼」だったように思います。
人が人生で一番大きな買い物をするためには何と言っても「信頼感」が重要ですね。

僕が積水ハウスを辞めて住宅会社顧問の仕事を始めて早いもので19年になります。
沖縄県を除く全国46都道府県の住宅会社とのご縁を頂きました。
有難いことです。
そういった中で魅力的だなと感じた住宅会社もいくつかあります。
感動させてもらった住宅会社さんです。
そういった工務店さんはこれからも是非地域の中で生き残って頂きたいと願わずにはいられません。
例えば四国の住宅会社、今では順調に売り上げを伸ばし従業員の方も増え30名近い会社になってはいますが、顔を出させて頂いたときは社員全員で9名の会社でした。
爽やかな社長が率先して社員さんや業者さんをけん引しておられました。
驚いたのは専門の営業担当者が誰もいない住宅会社でした。
逆に言えば設計担当者が、現場監督が、内務の担当者が…とにかくみんなが営業業務も行うという全員営業の住宅会社でした。
その会社には展示場もなくて驚きでした。
ただ社長の父親にあたる創業者から受け継がれてきた地域との結びつきが何よりの財産であり地域の人からの「信頼感」が寝ずいていた住宅会社という印象でした。
会社でお世話をした住宅を現場見学会で使わせていただき定期的に見学会を開催されて新規のお客様を掴んでおられました。
感心したのは社員全員がお客様を見送る事、挨拶の徹底、気持ちの良い会社というイメージが定着していたことです。
又会社の空いているスペースを活用して地域のカルチャースクールを実践しておられました。

記憶に残ってるものでは・・・・・
園芸教室
気功教室、
籐園芸工房
水彩画教室
手打ちうどん体験
ベビーマッサージ教室
簡単お菓子作り
粘土工芸
インテリアフラワー
認知症を防ぐ教室・・・・・
色々なカルチャースクールが定期的に行われていました。
この会社に顔を出される方々が多いことも理解できますね。
素晴らしい事です。
またこの会社の素晴らしいところは地域に密着するのみでなく、地域に貢献するというところにもありました。
地域の小学生を対象としてバスケットボール大会を毎年開催しておられました。
地域の皆さんからオファーを頂くのがよく解ります。
あの住宅会社だったら安心・安全だという「信頼」が溢れていました。

また年に1回の大きなイベントで会社周辺を使って夏祭りが開かれていました。
これはもう社員さん達のみならず、会社に出入りする取引業者の皆さんも一緒になって大盛り上がりで実行されるビッグイベントでした。
僕の目に映ったこの住宅会社の姿こそ、本来の住宅会社=地域に愛される工務店さんの本来あるべき姿だと感じました。
時代と共に住宅も変化をしていきますが、変わらなくてはならないものと、変わってはいけないものがあるように思われます。
この住宅会社の社長の感覚はとても優れておられて見えたように思います。
全国各地の多くの住宅会社に出会い、住宅業界のすばらしさをしっかりと経営に取り入れておられる住宅会社にも数多く出会いました。
これからも住宅業界は地域と共に歩んでいくものと期待してやみません。
あの建築会社は親戚にあたるから…とか、あの工務店はずっとこの地域で家づくりをしているから…といったように。
そこでの重要なポイントは「信頼」だったように思います。
人が人生で一番大きな買い物をするためには何と言っても「信頼感」が重要ですね。

僕が積水ハウスを辞めて住宅会社顧問の仕事を始めて早いもので19年になります。
沖縄県を除く全国46都道府県の住宅会社とのご縁を頂きました。
有難いことです。
そういった中で魅力的だなと感じた住宅会社もいくつかあります。
感動させてもらった住宅会社さんです。
そういった工務店さんはこれからも是非地域の中で生き残って頂きたいと願わずにはいられません。
例えば四国の住宅会社、今では順調に売り上げを伸ばし従業員の方も増え30名近い会社になってはいますが、顔を出させて頂いたときは社員全員で9名の会社でした。
爽やかな社長が率先して社員さんや業者さんをけん引しておられました。
驚いたのは専門の営業担当者が誰もいない住宅会社でした。
逆に言えば設計担当者が、現場監督が、内務の担当者が…とにかくみんなが営業業務も行うという全員営業の住宅会社でした。
その会社には展示場もなくて驚きでした。
ただ社長の父親にあたる創業者から受け継がれてきた地域との結びつきが何よりの財産であり地域の人からの「信頼感」が寝ずいていた住宅会社という印象でした。
会社でお世話をした住宅を現場見学会で使わせていただき定期的に見学会を開催されて新規のお客様を掴んでおられました。
感心したのは社員全員がお客様を見送る事、挨拶の徹底、気持ちの良い会社というイメージが定着していたことです。
又会社の空いているスペースを活用して地域のカルチャースクールを実践しておられました。


記憶に残ってるものでは・・・・・
園芸教室
気功教室、
籐園芸工房
水彩画教室
手打ちうどん体験
ベビーマッサージ教室
簡単お菓子作り
粘土工芸
インテリアフラワー
認知症を防ぐ教室・・・・・
色々なカルチャースクールが定期的に行われていました。
この会社に顔を出される方々が多いことも理解できますね。
素晴らしい事です。
またこの会社の素晴らしいところは地域に密着するのみでなく、地域に貢献するというところにもありました。
地域の小学生を対象としてバスケットボール大会を毎年開催しておられました。
地域の皆さんからオファーを頂くのがよく解ります。
あの住宅会社だったら安心・安全だという「信頼」が溢れていました。


また年に1回の大きなイベントで会社周辺を使って夏祭りが開かれていました。
これはもう社員さん達のみならず、会社に出入りする取引業者の皆さんも一緒になって大盛り上がりで実行されるビッグイベントでした。
僕の目に映ったこの住宅会社の姿こそ、本来の住宅会社=地域に愛される工務店さんの本来あるべき姿だと感じました。
時代と共に住宅も変化をしていきますが、変わらなくてはならないものと、変わってはいけないものがあるように思われます。
この住宅会社の社長の感覚はとても優れておられて見えたように思います。
全国各地の多くの住宅会社に出会い、住宅業界のすばらしさをしっかりと経営に取り入れておられる住宅会社にも数多く出会いました。
これからも住宅業界は地域と共に歩んでいくものと期待してやみません。
カテゴリー:接客/サービス
author: Masahiko Kato
現在、僕の主たる仕事は住宅会社の顧問です。
コロナ禍以前は定期的に講演やセミナーがありました。
そういった中でも時折セミナーや講演の依頼が舞い込みます。
先月このブログでも案内しましたが、この11日には公開セミナーを実施いたします。
多少ですが今回のセミナーについてお話しておきます。
一般社団法人である『中部産業連盟』主催のセミナーです。
中部産業連盟さんのセミナー講師を勤めるようになったのは記憶によると2009年だったような気がします。
コロナの関係もあって途中で開催されなかった場合もありましたが、15年近くの長期間にわたって講師を務めさせて頂いております。
今回のセミナーの内容はというと、「ここが違う!営業マネージャー成功の極意」というタイトルです。
自分自身の成功体験をベースにお話しさせていただくのですが、セミナーの時間が朝10時から夕方5時までと長時間です。
一人喋りでワンウェイでのセミナーですと、どうしても受講される方々の満足度も落ちてしまうものです。(私も大変疲れてしまいます)
そんな中で毎回好評なのは私の実体験です。
多くの成功談もありますが、多くの失敗談もあります。
学習効果があってこその業績向上でした。

懸命にやったことは「量」でしょうか。
「量」をこなす事で「質」が熟成されてきたように振り返ります。
支店長時代 (東京と岡崎)は単身赴任でしたが、自分でもよくまあと思えるほど、仕事人間だったように思います。
何せ当時は今とは違ってコンプライアンスの時代ではありませんでした。
働くことが何よりの美徳だった時代でした。
社員さん達もよくぞまあついてきてくださいました。
当時の社員さん達の思い出話をお聴きすると…こんな答えが返ってきます。
「あの頃は本当によく仕事をしましたね」です。
また嬉しい答えは「大変だったけれど楽しかったですね」です。
確かに納得です。
よく仕事をしました。
そしてまた楽しいレクレーションも多かったですね。
だから結果に結びついたのでしょう。
岡崎支店時代、年間売上が60億の支店が6年間で120億にまで進捗しました。
全国に確か108の支店があったように思いますが、社員一人当たりの契約高、売上、営業利益、目標利益達成率、そして顧客満足度まで全国トップの業績を上げました。

大変な毎日でしたがやり遂げた後の歓びを知ることが出来、会社員として幸せだったように思います。
何よりも財産だと思うことは良い思い出をたくさん作ることが出来たことでしょうか。

人間は環境の動物です。
仕事が面白くなる環境を作れば仕事は楽しくなるものです。
その為には色々と工夫も必要です。
社員さん達を認める事、叱ってあげる事、ほめる事・・・。
そんなエッセンスの深い話を当日はお話ししたく思います。

コロナ禍以前は定期的に講演やセミナーがありました。
そういった中でも時折セミナーや講演の依頼が舞い込みます。
先月このブログでも案内しましたが、この11日には公開セミナーを実施いたします。
多少ですが今回のセミナーについてお話しておきます。
一般社団法人である『中部産業連盟』主催のセミナーです。
中部産業連盟さんのセミナー講師を勤めるようになったのは記憶によると2009年だったような気がします。
コロナの関係もあって途中で開催されなかった場合もありましたが、15年近くの長期間にわたって講師を務めさせて頂いております。
今回のセミナーの内容はというと、「ここが違う!営業マネージャー成功の極意」というタイトルです。
自分自身の成功体験をベースにお話しさせていただくのですが、セミナーの時間が朝10時から夕方5時までと長時間です。
一人喋りでワンウェイでのセミナーですと、どうしても受講される方々の満足度も落ちてしまうものです。(私も大変疲れてしまいます)
そんな中で毎回好評なのは私の実体験です。
多くの成功談もありますが、多くの失敗談もあります。
学習効果があってこその業績向上でした。

懸命にやったことは「量」でしょうか。
「量」をこなす事で「質」が熟成されてきたように振り返ります。
支店長時代 (東京と岡崎)は単身赴任でしたが、自分でもよくまあと思えるほど、仕事人間だったように思います。
何せ当時は今とは違ってコンプライアンスの時代ではありませんでした。
働くことが何よりの美徳だった時代でした。
社員さん達もよくぞまあついてきてくださいました。
当時の社員さん達の思い出話をお聴きすると…こんな答えが返ってきます。
「あの頃は本当によく仕事をしましたね」です。
また嬉しい答えは「大変だったけれど楽しかったですね」です。
確かに納得です。
よく仕事をしました。
そしてまた楽しいレクレーションも多かったですね。
だから結果に結びついたのでしょう。
岡崎支店時代、年間売上が60億の支店が6年間で120億にまで進捗しました。
全国に確か108の支店があったように思いますが、社員一人当たりの契約高、売上、営業利益、目標利益達成率、そして顧客満足度まで全国トップの業績を上げました。

大変な毎日でしたがやり遂げた後の歓びを知ることが出来、会社員として幸せだったように思います。
何よりも財産だと思うことは良い思い出をたくさん作ることが出来たことでしょうか。

人間は環境の動物です。
仕事が面白くなる環境を作れば仕事は楽しくなるものです。
その為には色々と工夫も必要です。
社員さん達を認める事、叱ってあげる事、ほめる事・・・。
そんなエッセンスの深い話を当日はお話ししたく思います。

カテゴリー:接客/サービス
author: Masahiko Kato
早いものです。もう10月ですね。
「時」の流れは加速度がついてくる感覚です。
またこんなにも暑い10月を迎えるなんて…といった心境でもあります。

さて、 会社には皆個性があります。
僕が顔を出させていただいている会社にも随分と温度差があります。
ああこの会社は素晴らしいなと感じる会社に出会うと嬉しいものです。
時には、いろいろと教えて頂くこともあります。
某大手銀行の管理者の方々に講演の機会を頂いたとき教えてもらったことがありました。
講演前にレジメやパワーポイントでの話す内容の検証がありました。
僕のレジメには上司とか部下という言葉が並んでいたのですが、上司という言葉をマネージャーに、部下という言葉をメンバーに変えて頂きたいとご指摘を頂きました。
確かに普段何気に使っていた言葉でしたが、上司と部下という表現は何となく上下関係を感じてしまいます。
早速修正させていただきました。
それ以降は僕のレジメにはマネージャーとメンバーで表現させてもらっています。
有難いご指摘で感謝しております。
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時間について気になってもいますのでお話いたします。
残業が美徳であったり、当たり前であった時代から、随分と変化が起きてきています。
2024年問題もこの先到来します。
もうすぐです。
そうなると益々仕事時間の価値が問われるようになります。
時間に対しての意識が今よりもっと高くなることが必要不可欠となります。

たとえば会議のやり方についても見直しが必要であると思います。
実行する会議が本当に必要なのかどうか・・・?
会して議するのが「会議」であるならば、集まった人がそれぞれ発言の機会をもらっているのか?
進行上のルールはあるのか?
議長である人が一人で発言し過ぎていないか・・・?
話す人と聞く人がはっきり分かれてはいないか・・・?
会議の最後はポジティブにまとめられているか・・・?
会議の参加者は必要な資料を準備しているか・・・?
会議の時間が長時間になっていないか・・・?
皆さんは「性善説」と「性悪説」についてはご存じではと思います。
僕は個人的に「性弱説」という言い方をしていて人は弱い物、だからしっかりとリーダーは自分のチームのメンバーに対してアドバイスをしようという考え方から、毎日のリーダーとメンバーのコミュニケーションの時間を取るようにしていました。
いわば日々のP・D・C・Aの徹底であり、作戦会議でもありました。
ちなみに費やした時間は朝の1時間でした。
その内容はというと、昨日の振り返りと、当日の行動の指示でしたが、結果としては業績が向上して生産性の高い組織の基礎となりました。
リーダーとメンバーのコミュニケーションが密になったということも大きなプラスとなったように振り返ります。

営業会社であれば多くの場合、会社に長く滞在することは業績向上に繋がりません。
顧客に対応する時間を増やしていく事が重要です。
顧客対応されている時間こそが営業の本来の仕事時間と定義してもよいでしょう。

時間に対しての社員の意識、今こそ更なる高まりを期待したいものです。
「時」の流れは加速度がついてくる感覚です。
またこんなにも暑い10月を迎えるなんて…といった心境でもあります。


さて、 会社には皆個性があります。
僕が顔を出させていただいている会社にも随分と温度差があります。
ああこの会社は素晴らしいなと感じる会社に出会うと嬉しいものです。
時には、いろいろと教えて頂くこともあります。
某大手銀行の管理者の方々に講演の機会を頂いたとき教えてもらったことがありました。
講演前にレジメやパワーポイントでの話す内容の検証がありました。
僕のレジメには上司とか部下という言葉が並んでいたのですが、上司という言葉をマネージャーに、部下という言葉をメンバーに変えて頂きたいとご指摘を頂きました。
確かに普段何気に使っていた言葉でしたが、上司と部下という表現は何となく上下関係を感じてしまいます。
早速修正させていただきました。
それ以降は僕のレジメにはマネージャーとメンバーで表現させてもらっています。
有難いご指摘で感謝しております。
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時間について気になってもいますのでお話いたします。
残業が美徳であったり、当たり前であった時代から、随分と変化が起きてきています。
2024年問題もこの先到来します。
もうすぐです。
そうなると益々仕事時間の価値が問われるようになります。
時間に対しての意識が今よりもっと高くなることが必要不可欠となります。

たとえば会議のやり方についても見直しが必要であると思います。
実行する会議が本当に必要なのかどうか・・・?
会して議するのが「会議」であるならば、集まった人がそれぞれ発言の機会をもらっているのか?
進行上のルールはあるのか?
議長である人が一人で発言し過ぎていないか・・・?
話す人と聞く人がはっきり分かれてはいないか・・・?
会議の最後はポジティブにまとめられているか・・・?
会議の参加者は必要な資料を準備しているか・・・?
会議の時間が長時間になっていないか・・・?
皆さんは「性善説」と「性悪説」についてはご存じではと思います。
僕は個人的に「性弱説」という言い方をしていて人は弱い物、だからしっかりとリーダーは自分のチームのメンバーに対してアドバイスをしようという考え方から、毎日のリーダーとメンバーのコミュニケーションの時間を取るようにしていました。
いわば日々のP・D・C・Aの徹底であり、作戦会議でもありました。
ちなみに費やした時間は朝の1時間でした。
その内容はというと、昨日の振り返りと、当日の行動の指示でしたが、結果としては業績が向上して生産性の高い組織の基礎となりました。
リーダーとメンバーのコミュニケーションが密になったということも大きなプラスとなったように振り返ります。

営業会社であれば多くの場合、会社に長く滞在することは業績向上に繋がりません。
顧客に対応する時間を増やしていく事が重要です。
顧客対応されている時間こそが営業の本来の仕事時間と定義してもよいでしょう。

時間に対しての社員の意識、今こそ更なる高まりを期待したいものです。