生まれたからには生き続ける。 (2024/08/20)
カテゴリー: 自由
Author: Masahiko Kato
今月の月刊誌PRESIDENTに作家でありタレントでもある志茂田景樹さんが掲載されていました。
とても懐かしい感じがしてその記事を読ませて頂きました。
志茂田景樹さんとの出会いは積水ハウスの支店長時代、出張中にたまたま大分でお会いしました。(もう30年ほど前の事です)
当時大分は空港から市内までオーバークラフトが運行されていて(その後廃止され、今はまた復活している様子です)その中で、中央大学の先輩である(僕は1年時だけ中央大学でした)志茂田さんにご挨拶をしたことが始まりでした。
その後、僕が東京の支店長時代、志茂田さんの御自宅を創らせていただくことになって(これは営業さんの頑張りがあったせいですが・・・)住まいの完成時に志茂田さん家族をお招きして新築のお祝い会をさせて頂きました。
当時はお元気で、とても楽しい方で、随分とお酒も飲まれていたように振り返ります。
特に梅の入った焼酎がお好きだという事で、飲みながらいろいろとお話をさせて頂き、思い出に残る貴重な時間を過ごさせて頂きました。
その後は年賀状のやり取りが何度かあったでしょうか。
あの奇抜な服装でタモリさんの「笑っていいとも」で3年間ほどレギュラーもしておられました。
一般には、どうしてもその印象が強いのですが、もともとは「黄色い牙」で直木賞を受賞しておられますし、数多くの小説、絵本作家、「よい子に読み聞かせ隊」と名打って奥様と共に全国各地に出かけられてもおられます。
2018年関節リウマチ、2019年には腰を骨折され、そして84才になられた現在、要介護5の車椅子生活となられたようです。
そんな中で「過去に執着せず、今に愛着を持て」と紙面ではおっしゃっておられました。
車いす生活で介護の人が付かないと外出は無理、関節リウマチの悪化で体の可動範囲は凄く狭い、ベッドから車いすに移乗するのも一人ではできない。
トイレに行くのも一苦労で、現在はオムツを使用なさっておられるようです。
そんな中でも体調の良い時は1日3時間程度、パソコンで文章をひねり出す、単発のエッセイを書かれる・・・生きておられる間は少しでも前へ進むことが心の糧になっておられるとのことです。
文章からは懸命に生きておられる姿勢が伝わってきました。
かつては健脚で新宿からの長距離をご自宅まで歩いて行きかえりするなどしておられたことを僕はお聞きしていました。
当時とはずいぶんと変わってしまった現実に驚きもしましたが、それでもしっかりと前を向いて生きておられるその姿に感銘も受けました。
現在は自宅で介護サービスをフルに使って生活をしておられ、朝の着替えや、ベッドから車いすへの移乗はヘルパーさんにお手伝いもしてもらっておられるようです。
介護ネットワークがあるという環境の中で、今も作品を書き続けておられます。
明日、死に神がやってきて明日でお前の命は終わりだよ、それが天の定めだよと言われても冗談だろうと受け流しながら。それでも今やっている小説を1行でも2行でも書くでしょうとご本人はおっしゃっておられます。
完成には程遠くともそこまで一生懸命にやってきたんだから、それでいいんだと、受け入れる、それが最後の自分なりの納得ではないでしょうかと言われていたことがとても印象的でした。
とても懐かしい感じがしてその記事を読ませて頂きました。
志茂田景樹さんとの出会いは積水ハウスの支店長時代、出張中にたまたま大分でお会いしました。(もう30年ほど前の事です)
当時大分は空港から市内までオーバークラフトが運行されていて(その後廃止され、今はまた復活している様子です)その中で、中央大学の先輩である(僕は1年時だけ中央大学でした)志茂田さんにご挨拶をしたことが始まりでした。
その後、僕が東京の支店長時代、志茂田さんの御自宅を創らせていただくことになって(これは営業さんの頑張りがあったせいですが・・・)住まいの完成時に志茂田さん家族をお招きして新築のお祝い会をさせて頂きました。
当時はお元気で、とても楽しい方で、随分とお酒も飲まれていたように振り返ります。
特に梅の入った焼酎がお好きだという事で、飲みながらいろいろとお話をさせて頂き、思い出に残る貴重な時間を過ごさせて頂きました。
その後は年賀状のやり取りが何度かあったでしょうか。
あの奇抜な服装でタモリさんの「笑っていいとも」で3年間ほどレギュラーもしておられました。
一般には、どうしてもその印象が強いのですが、もともとは「黄色い牙」で直木賞を受賞しておられますし、数多くの小説、絵本作家、「よい子に読み聞かせ隊」と名打って奥様と共に全国各地に出かけられてもおられます。
2018年関節リウマチ、2019年には腰を骨折され、そして84才になられた現在、要介護5の車椅子生活となられたようです。
そんな中で「過去に執着せず、今に愛着を持て」と紙面ではおっしゃっておられました。
車いす生活で介護の人が付かないと外出は無理、関節リウマチの悪化で体の可動範囲は凄く狭い、ベッドから車いすに移乗するのも一人ではできない。
トイレに行くのも一苦労で、現在はオムツを使用なさっておられるようです。
そんな中でも体調の良い時は1日3時間程度、パソコンで文章をひねり出す、単発のエッセイを書かれる・・・生きておられる間は少しでも前へ進むことが心の糧になっておられるとのことです。
文章からは懸命に生きておられる姿勢が伝わってきました。
かつては健脚で新宿からの長距離をご自宅まで歩いて行きかえりするなどしておられたことを僕はお聞きしていました。
当時とはずいぶんと変わってしまった現実に驚きもしましたが、それでもしっかりと前を向いて生きておられるその姿に感銘も受けました。
現在は自宅で介護サービスをフルに使って生活をしておられ、朝の着替えや、ベッドから車いすへの移乗はヘルパーさんにお手伝いもしてもらっておられるようです。
介護ネットワークがあるという環境の中で、今も作品を書き続けておられます。
明日、死に神がやってきて明日でお前の命は終わりだよ、それが天の定めだよと言われても冗談だろうと受け流しながら。それでも今やっている小説を1行でも2行でも書くでしょうとご本人はおっしゃっておられます。
完成には程遠くともそこまで一生懸命にやってきたんだから、それでいいんだと、受け入れる、それが最後の自分なりの納得ではないでしょうかと言われていたことがとても印象的でした。