カテゴリー:自由
author: Masahiko Kato
ほとんど毎日、ウォーキングで自分なりのリハビリをしています。
イヤホーンから聞こえてくるのは吉田拓郎、「♪今日までそして明日から」です。

「あなたは放浪癖があるから・・・」かつて母親に言われたことがあります。
振り返れば高校1年時のクラスメイトとの旅から始まって、その後はヒッチハイクでの一人旅、シュラフとリュックを背負って、固形燃料や食料も入れての彷徨いが始まりました。

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高校はもう義務教育ではないからと、ちょいちょい学校をサボタージュして夜中に家族に気づかれず静かに家を出ていたなんてこともあります。
学校は何とか最低の出席日数だけは確保して何とか進級はしていました。
唯そんな日常でしたから当然ながら成績は悪く、通知表で初めて学科によっては5段階評価の1の評価もあり、2年からは進学コースに入れなく女子の多い短大クラスで学ぶことになってしまいました。
両親は共に教育に従事していたのにも関わらず、僕の我儘を放任してくれていました。
感謝しかありません。(今も毎月1回のお墓参りは欠かしていません)
とにかくあの頃は怖いものがなかったですね。
金はないから取られるものは無いし、体は健康そのものだし、好きな時にふっと誘われるように、ガソリンスタンドなどで運転手さんにお願いして乗車させてもらいヒッチハイクの旅を繰り返していました。

高校2年次の文化祭に「旅のエッセイ」と名付けた書き物を出店した思い出がありますが、その中に「将来旅を日常化したい」という思いを綴りました。

高校卒業と共に、まずは社会人経験をと大阪で開催されていた万国博フランス館で働きました。
18才ですから一番の若手、至らない事が多かったと思います。
先輩たちは何かと親切に教えて下さいました。
多少ともグローバルなものの見方が自分の中に芽生えたのは万博で小さな世界を見たことに影響されたかもしれません。
いい経験でした。
その後、今でいうフリーター感覚で浪人生活を送りながら名古屋でお医者様の家に間借りして河合塾で1年半、当時弁護士になりたいと、また東京か京都か迷った挙句一端は法学の道に進みました(中央大)
ところが周囲はねじり鉢巻きで朝夕机に向かう学生ばかり、勉強についていけず挫折、その後はマスコミ関連に魅せられて文学部哲学科社会学専攻の転部試験を受けましたが不合格、法政大社会学部の2年次編入試験に受かって入学金は2度支払いました。(親不孝な息子です)

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1ドル360円の時代はさすがに海外旅行というわけにはいかず、また英語が苦手だったという事も行かなかった理由にあったように思います。
その代わりというか国内の無銭旅行だけは随分と数多く行かせて頂きました。
北海道・礼文島・桃岩のてっぺんで野宿した思い出をはじめ、冒険に近い旅の連続だったような感がします。
その分大学には顔を出す機会が少なかったように記憶します。
それでもゼミ(マス・メディア)とサークル活動(広告研究会)だけはちょいちょい顔を出していました。
東京での生活は経済的には結構大変で4畳半8000円の古いアパートに居を構えながら銭湯に通い、共同トイレ、アルバイト生活で生活していました。
まさに「神田川」の世界でした。
フォークソング全盛時代でギター片手によく歌ったものです。
吉田拓郎の曲は今もウォーキングの際にイヤホーンから流れる定番となっています。

就職時は大不況、目指していたマスコミ関連も志望していた東海テレビ、中日新聞は採用なし、広告代理店は5次試験(最終面接)で落とされる始末、1月まで就職が決まってない折に偶然空を見上げた時に積水ハウスが「セキスイハウス」と大きく書かれた飛行船を飛ばしており、これからは住宅業界が伸びていくに違いない。
この業界がいいかもと入社に及びました。

積水ハウスへ入社して驚くことばかりの日常でした。
仕事、仕事の毎日の連続でした。
働くことが美徳、僕もいつの間にか猛烈社員の典型だったようにも思います。
とにかく忙しい、大変、寝るのも惜しんで働いたように感じます。
だからでしょうが、業績も上がりました。
「住まいの参観日」を企画・立案、全国トップの支店業績等・・・。
社員さんが本当によく頑張ってくださいました。
そのお陰で本当にたくさんの思い出が業績されています。
変化の多い毎日、思い出がいっぱいの凝縮した日々でした。

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積水ハウスでの経験を糧に起業して20年前から全国での仕事を頂いています。
沖縄県だけは仕事していませんが、後の46都道府県はご縁を頂き、またそのうち約半数で顧問の仕事もさせてもらって、全国各地の旅をさせて頂いています。
新幹線乗車とホテルの宿泊数は数え切れませんね。
会社員時代には48回にわたって海外の旅も経験させてもらいましたし、起業してからの10年間は年間150回ほどのホテル宿泊、まさに旅から旅への放浪生活でした。
まさに感謝・感謝の毎日でした。

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コロナ禍に合って生活形態が変化しましたが 「一期一会」のたくさんの御縁を頂き
感謝の人生を送らせてもらっています。

現在は2年前に大きな手術をしましたので健康面での問題もありますが、リハビリを重ね回復基調にあります。
おこがましいと言われるかもしれませんが、出来ればもう少し社会貢献したい、自分の中で心の旅をしていたいと感じています。
まさに放浪人生だったように思います。
我儘を貫いてもう少し、可能ならば社会貢献も含めて放浪してみたいと思っています。

「今日まで、そして明日から」のメロディが流れています。


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author: Masahiko Kato
今月の月刊誌PRESIDENTに作家でありタレントでもある志茂田景樹さんが掲載されていました。
とても懐かしい感じがしてその記事を読ませて頂きました。

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志茂田景樹さんとの出会いは積水ハウスの支店長時代、出張中にたまたま大分でお会いしました。(もう30年ほど前の事です)
当時大分は空港から市内までオーバークラフトが運行されていて(その後廃止され、今はまた復活している様子です)その中で、中央大学の先輩である(僕は1年時だけ中央大学でした)志茂田さんにご挨拶をしたことが始まりでした。
その後、僕が東京の支店長時代、志茂田さんの御自宅を創らせていただくことになって(これは営業さんの頑張りがあったせいですが・・・)住まいの完成時に志茂田さん家族をお招きして新築のお祝い会をさせて頂きました。
当時はお元気で、とても楽しい方で、随分とお酒も飲まれていたように振り返ります。
特に梅の入った焼酎がお好きだという事で、飲みながらいろいろとお話をさせて頂き、思い出に残る貴重な時間を過ごさせて頂きました。
その後は年賀状のやり取りが何度かあったでしょうか。

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あの奇抜な服装でタモリさんの「笑っていいとも」で3年間ほどレギュラーもしておられました。
一般には、どうしてもその印象が強いのですが、もともとは「黄色い牙」で直木賞を受賞しておられますし、数多くの小説、絵本作家、「よい子に読み聞かせ隊」と名打って奥様と共に全国各地に出かけられてもおられます。

2018年関節リウマチ、2019年には腰を骨折され、そして84才になられた現在、要介護5の車椅子生活となられたようです。
そんな中で「過去に執着せず、今に愛着を持て」と紙面ではおっしゃっておられました。
車いす生活で介護の人が付かないと外出は無理、関節リウマチの悪化で体の可動範囲は凄く狭い、ベッドから車いすに移乗するのも一人ではできない。
トイレに行くのも一苦労で、現在はオムツを使用なさっておられるようです。
そんな中でも体調の良い時は1日3時間程度、パソコンで文章をひねり出す、単発のエッセイを書かれる・・・生きておられる間は少しでも前へ進むことが心の糧になっておられるとのことです。

文章からは懸命に生きておられる姿勢が伝わってきました。

かつては健脚で新宿からの長距離をご自宅まで歩いて行きかえりするなどしておられたことを僕はお聞きしていました。
当時とはずいぶんと変わってしまった現実に驚きもしましたが、それでもしっかりと前を向いて生きておられるその姿に感銘も受けました。

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現在は自宅で介護サービスをフルに使って生活をしておられ、朝の着替えや、ベッドから車いすへの移乗はヘルパーさんにお手伝いもしてもらっておられるようです。
介護ネットワークがあるという環境の中で、今も作品を書き続けておられます。
明日、死に神がやってきて明日でお前の命は終わりだよ、それが天の定めだよと言われても冗談だろうと受け流しながら。それでも今やっている小説を1行でも2行でも書くでしょうとご本人はおっしゃっておられます。
完成には程遠くともそこまで一生懸命にやってきたんだから、それでいいんだと、受け入れる、それが最後の自分なりの納得ではないでしょうかと言われていたことがとても印象的でした。

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当たり前の話かもしれませんが、忙しく仕事をする人は決まって時間を大切にする人が多いものです。
また仕事を充実させるためにも、自分の余暇も楽しんでおられるようです。
この辺りのメリハリがしっかりしておられますね。

参考になるかどうかはわかりませんが、恐縮ですが僕なりの人生の楽しみ方を今日は書かせていただきます。
参考になれば幸いです。
年齢のせいもあるかもしれませんがとにかく毎日の時間の流れる速度が速く感じられます。
それも年々加速度がついてくるようで、そうなると毎日を密度が濃い生活になる様工夫する必要があります。

例えば出張に出る際の楽しみ方としては、仕事をした分自分にも多少の褒美を与える事、無理はできませんが極力実行するように意識しています。
現実的な話としてこんなこともあります。
仕事場の近くの観光列車に乗ってみるなんていうのはどうでしょうか。
僕も知らなかったのですが日本には何と150車程の観光列車が存在しているようです。。

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数か月前のことですが、仕事時間を計算した上で観光列車に乗ってみました。
そうは言うものの、観光列車はマニアの方も多く、皆さんがよく勉強もしてらっしゃって列車によってはなかなかチケットが取れません。
JRはかつての国鉄から民有化され現在は7つの企業となっています。
JR貨物と、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州の7社です。
仕事で頻繁に訪れた際に乗車するR九州はその中でも一番の優等生、経営上では模範の会社です。
「ゆふいんの森」「あそぼーい」「海彦・山彦」「指宿のたまて箱」「いさぶろう・じんべい」「A列車で行こう」など列車の名前だけでもユニークで乗車したいという気持ちを強くしてくれます。

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観光の方や旅行会社、マニアの方々が随分と購入しておられるようでなかなかチケットが取れませんでしたが、たまたま偶然というかタイミングが良くて「A列車に乗ろう」のチケットが取れました。
観光列車だけあって海外からの観光目当てのお客様もおられましたし、列車内はきらびやかな感覚、売店もあり、コンセルジュのごとき乗務員さん達も感じがよく、もともと乗車距離が短い事もあるのですが、乗車時間が本当にあっという間でした。
実に楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものです。

またこれも人気があるようですが寝台列車も魅力的です。
例えば「カシオペア」「ななつ星」「四季島」「銀河」「サンライズ出雲」などでしょうか。
残念ながら個人的にはまだ乗車しておりません。
是非、機会を作ってそのうち乗車してみたいものです。

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仕事においても上司は社員の一人一人に対して、やりたいことを見つける、やらねばならない事を意識させることが必要だと考えます。
夢を持たせることが重要でもあります。
そうして仕事が楽しいと思えるように工夫していくしかないですね。

上司は「君にしかできない」「あなただから任せる」といったメンバーへの期待が大切で、しっかりと認めてあげて仕事に向かわせることがとても重要だと思います。
そしてやるべきことをやった時は忘れないようご褒美もしっかりと与えましょう!!

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author: Masahiko Kato
高校1年生の時友人に誘われて初めて旅に出ました。
男4人の静岡への1泊2日の旅でした。
この時初めて新幹線こだまに乗った記憶があります。
家族旅行は別として、この時が個人的な旅のスタートでした。

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高校2年の春、クラスメイトM君と2人で春休み15日間を利用し九州一周の旅に出かけました。
クラスメイトの親戚が長埼・平戸にあって、そのお宅に宿泊させてもらって、その後は一人ずつになって最終日に北九州で一緒になって帰ってきました。
九州までは超満員の鈍行列車に揺られて、平戸から佐世保へ船に乗り、その後はもっぱらヒッチハイクの旅、学校やお寺、公園や駅などをお借りしてシュラフで寝ました。
往復の切符と少しばかりのお金を持っていましたが、ほとんど文無し、若くて健康ですから当時は怖いものなしでした。
背中に背負ったリュックの中には固形燃料やインスタントの食料がありました。

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旅の途中にはサプライズもあるものです。
宮崎・青島では高校1年時の担任の先生が新婚旅行中でばったりと遭遇しました。
鹿児島の指宿では入った銭湯がなんと混浴でびっくりしました。

親には心配かけたかもしれませんが、義務教育でないのに甘えて高校時代はとにかくよく学校を休みました。
何とか落第は逃れたものの、始めて通知表に1という評価を頂いたのはこのころです。
とにかく勉強しなかったものですから・・・。
そして高校2年以降は1週間以内の短い旅を何度か経験しました。
その全てがヒッチハイクと無銭旅行でした。
高校卒業後は社会人となって働き、社会人・浪人を経て2年後に大学に入ったことも旅でした。
また中央大を経て弁護士の夢に挫折経験し、2年次から法政大に編入したのもある意味旅だったかもしれません。
就職困難な時期でマスコミの夢を断ち切ったのも今となってはよい経験でした。

高校の文化祭に『旅のエッセイ』という文集を出典しました。
そしてその中に「自分は将来旅を日常化したい、それが夢」と書かせて頂きました。

新婚旅行が僕にとって初めての海外旅行でした。(行先はギリシャでした)
目を患いアテネで病院へ行った想い出があります。
1973年までは、1ドルが360円の時代で海外の旅は高価なものでした。
その後は家族で、また会社の旅行で随分と国内外の各地を旅行させていただきました。

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サラリーマン生活を終え住宅会社の顧問を中心とした生活をさせて頂いています。
独立して19年経過しました。
有難いことに沖縄を除く46の都道府県で仕事の御縁をもらいました。
北海道も丸2年間、毎月2回の仕事をこなしました。
全国各地に多くの貴重な財産となる思い出が作れました。
そして、お陰様でたくさんの感動を味わうこともできました。
コロナ禍になる前の10年間は年間にホテル宿泊が150泊という日々を送りました。
まさに「旅を日常化する」自己実現だったように思います。

かつて母親に言われました。
「あなたは放浪癖があるね」と。
何でも父方の祖先(父親の曽祖父)が虚無僧となって家を出て帰らなかったそうです。
そんな血が身体を流れているのかもしれません。

コロナを起点として仕事量は減ってはいますが、まだまだ旅は継続中です。
忙しさがなくなり、自由な時間が増えました。
かえって良かったのではと思ってもいます。
1年前の腰の手術以来、週2日のリハビリが続いています。

こうやってこのホームページ上でのブログも2004年から2500回を超えてきています。
心の旅が続いています。

旅を経験するたびに世界は狭いとつくづく感じています。
私達が住む日本はというと飛行機で飛べばたったの2時間、小さな国です。
戦争なんかやればすぐにでも壊れてしまうでしょう。

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地球温暖化で異常気象が続いています。
今迄例を見ない火災や台風、地震も起きてきています。
環境問題が深刻化してきています。
地球規模で将来を考えなくてはいけない時代に、絶対にあってはいけない戦争が現実化しています。(悲しい事実です)
そこは破壊の世界です。

住宅建設の仕事は建設的な仕事です。
住宅建設の仕事は人を幸せにする仕事です。
平和な生活を建設しようとする素晴らしい仕事です。
こういった仕事に就かせていただいたことに感謝しながら、もう少し旅を続けていきたく思っています。

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今もなお、毎日が学びの連続です。
手術で少し不自由になった身体と戦いながらも、住宅建設に情熱を持ち続ける仲間と一緒に毎日を旅していきたいと望んでいます。






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author: Masahiko Kato
 新幹線の移動中の時間は僕の一番の癒しのひとときでもあります。

そんな時、よく手にとって目にする雑誌があります。
「ひととき」という新幹線車内誌なのですが・・・。

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 この雑誌の冒頭には第16代茶道家元の「千宗室」氏が毎回コラムを書かれているのですが、その流暢な言葉の綴り荷はいつも感心してしまいます。

 さすが、千利休を祖とする家柄というか、よくまあこういった文章が書けるものだと思ってしまうのです。

 例えば、『秋の夜の酒』「しっとりとした仲秋の夜だった。私は先斗町に近い路地の酒場にいる。先ほど解散した宴の喧騒がまだ耳たぶに引っ掛かっていて、心がクールダウンを求めていた。ここは品の良い、酒場らしい酒場だ。肘を乗せているカウンターは一枚板で長い。10メートルぐらいあるかもしれない。しぼった照明がぽつんとカウンターに浮かぶ。それが遠浅の浜辺に迷い込んできたクラゲのように濁っていて、妙に懐かしい。・・・・・」
 
…といった感じなのですが、よくまあこのように表現できるものだと、ついため息をついてしまうほどなのです。

 僕にも努力すれば近づけるものかもしれませんが、生れ持ったセンスというか才能というものがあるのでしょうね。

 もっぱらこのコラムの文章に心地よい酔いを求めている自分がいるのかもしれません。
カテゴリー:自由
author: Masahiko Kato
 東京で顧問会社の仕事があり、その後時間を見つけて池袋のサンシャイン水族館に顔を出してみました。
 ここは最近リフレッシュされたばかり、子供さんを連れた家族連れも数多く見受けられましたが水中をすいすいと泳ぐ魚の姿を目にすると癒されますね。
なんでも最近、記念切手まで発行されたらしいんです。
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 毎日が仕事の連続である僕に会ってはこういったひとときが大切なような気がしてなりません。
 随分と久しぶりの水族館見学でしたがモチベーションアップに役立ったように思われました。

 水族館の水槽にはたくさんの生き物が展示されていました。色鮮やかな生き物、形の変わった生き物、エーッというほどの大きなものから目をこらさないと見えてこない小さな生き物まで・・・職員の方がサンゴの清掃をしてらっしゃる大きな水槽の中には、それはたくさんの魚たちが気持ちよく泳いでいましたね。
アシカやラッコ、ペンギンは人気者ですね。多くの人だかりでした。

 ざっと1時間の癒しの時間でしたが、気分爽快、明日の仕事に向けて活力が増してきたように思われました。
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author: Masahiko Kato
 独立して皆さん方から今まで頂いた名刺がちょうど1万枚になろうとしています。
せっかくの「御縁」をいただいたわけですが、なかなか整理整頓が出来ていなくてずっと書棚の中に眠っている状態です。
 なんとかもっと有効に利用できないかということで今回導入したのがSCANSNAPです。

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 このソフトはなかなかの優れモノ、名刺を入れると(しかもまとめて20枚づらいはOKです)中の機会がそれを読み取って、データとなって現れます。
 表面と裏面も同時に読み取り複雑な名刺やユニークな名刺にも対応します。

 どこまで上手く活用できるかは今後の自分次第となるのでしょうが、年齢と共に新しいものへの抵抗が出来てくる事への挑戦もあって今回使ってみようと思っています。

 時代と共に次々と新しいツールが登場します。
便利なものを使いこなすこと、使いこなさないと何もかも不便なものとなってしまいます。
自分への挑戦はこれからも続きます。
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author: Masahiko Kato
 学生結婚した娘の子供の2歳の誕生日をお祝いしました。
男の子です。未だ2歳なのに、もう走り回って眼が離せません。大変です。
小さなケーキにろうそくを2本立てたところ、解るのでしょうか「フーッ」と自分から火を消しました。
我々が「♪ハッピー・バースデイ・トーユー」と歌います。
本人はすっかり英雄気分です。(なんと可愛いですね。)
つい眼を細めてしまっている自分がいます。(笑)

 前日は親しくさせて頂いている会社の社長の息子さんの結婚式に招待されました。
こちらは幸せいっぱい、とても素敵なカップルでした。
名古屋市が一望できるホテル28階の式場で永遠の愛を宣誓です。
「いいですね」ご両親の気持ちもわかりますし、若いカップルが羨ましくもあります。

 過ぎ去ってみると人生はあっという間に流れていくものですね。
小さな子供も知らない間に成長していくことでしょうし、夫婦となったお二人も親となり子供さんにも恵まれていくのでしょう。
 何か2日間のうちに凝縮した人生を見たような気分になってしまいました。

 すこやかに成長していってほしいものです。
また幸せな家庭を築いていってほしいものです。

 

 
カテゴリー:自由
author: Masahiko Kato
 学生結婚した娘の子供の2歳の誕生日をお祝いしました。
男の子です。未だ2歳なのに、もう走り回って眼が離せません。大変です。
小さなケーキにろうそくを2本立てたところ、解るのでしょうか「フーッ」と自分から火を消しました。
我々が「♪ハッピー・バースデイ・トーユー」と歌います。
本人はすっかり英雄気分です。(なんと可愛いですね。)
つい眼を細めてしまっている自分がいます。(笑)

 前日は親しくさせて頂いている会社の社長の息子さんの結婚式に招待されました。
こちらは幸せいっぱい、とても素敵なカップルでした。
名古屋市が一望できるホテル28階の式場で永遠の愛を宣誓です。
「いいですね」ご両親の気持ちもわかりますし、若いカップルが羨ましくもあります。

 過ぎ去ってみると人生はあっという間に流れていくものですね。
小さな子供も知らない間に成長していくことでしょうし、夫婦となったお二人も親となり子供さんにも恵まれていくのでしょう。
 何か2日間のうちに凝縮した人生を見たような気分になってしまいました。

 すこやかに成長していってほしいものです。
また幸せな家庭を築いていってほしいものです。

 

 
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 学生結婚した娘の子供の2歳の誕生日をお祝いしました。
男の子です。未だ2歳なのに、もう走り回って眼が離せません。大変です。
小さなケーキにろうそくを2本立てたところ、解るのでしょうか「フーッ」と自分から火を消しました。
我々が「♪ハッピー・バースデイ・トーユー」と歌います。
本人はすっかり英雄気分です。(なんと可愛いですね。)
つい眼を細めてしまっている自分がいます。(笑)

 前日は親しくさせて頂いている会社の社長の息子さんの結婚式に招待されました。
こちらは幸せいっぱい、とても素敵なカップルでした。
名古屋市が一望できるホテル28階の式場で永遠の愛を宣誓です。
「いいですね」ご両親の気持ちもわかりますし、若いカップルが羨ましくもあります。

 過ぎ去ってみると人生はあっという間に流れていくものですね。
小さな子供も知らない間に成長していくことでしょうし、夫婦となったお二人も親となり子供さんにも恵まれていくのでしょう。
 何か2日間のうちに凝縮した人生を見たような気分になってしまいました。

 すこやかに成長していってほしいものです。
また幸せな家庭を築いていってほしいものです。