かつて積水ハウスの営業時代、住宅業界が総合展示場中心の集客手法になってからは特に競合する事が当たり前になりました。
もちろんこういった現象は今でも避けては通れない現実ですが・・・。
特によく競合先になったのは大和ハウス工業さんでした。
大和ハウス工業は積水ハウスよりも住宅業界に進出したのは5年先輩であり、確か昭和30年だったと記憶しています。
実は僕は就職先に住宅会社として積水ハウスと大和ハウス工業の試験にパスして、積水ハウスを選択したという過去があります。
当時は後発メーカーの積水ハウスの方が勢いがあったという感覚でした。

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積水ハウス時代、常に大和ハウス工業は僕にとって意識する住宅会社でした。
皆さん、住宅大手のメーカーは販売には苦労しておられないと思いがちかもしれません。
が、日常において実際は随分と泥臭い営業をやっていたのが事実でした。
公的販売で抽選になる事が目に見えている土地を見に来られるお客様に対して現地でアドバイスをしたり、例えば中部圏最大のニュータウンの空き地に関しては一区画一区画細かに土地所有者を調べすべての所有者に対して個別に営業活動を実施しました。
こういった活動は他社が殆ど実行していることはなかったのですが、唯一我々と大和ハウス工業だけは地味ですが、細かにやってらっしゃって営業における細心さを常々感じていました。

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またJA(かつての農協)とタイアップしての営業活動や、TKC(税理士)に対してのコラボレーションなどは、大和ハウス工業が先駆者であり、私達は真似するしかなかったこともありました。
特に印象的だったのはJAの方々の葬祭時に大和ハウス工業の大きな花輪の飾りつけが常に目立っていたことでした。
つまりはそれだけ人間関係もしっかりと出来ていたという事でしょう。
また自社で経営するロイヤルホテルを使ったオーナーさんへの対応も目を見張るものがありました。(それに対抗して僕は支店長時代、オーナーさんを温泉に招待していました。)

今、僕が仕事先に向かう宿泊先としてよく利用するのはダイワロイネットホテルです。(今ではとても人気が高いホテルとなっています)
またその際地元の駅でマイカーを駐車場として使用するのはダイワパーキングとなっています。
そして買い物に顔を出すのは大和ハウス工業が経営するショッピングモールでもあります。
凄いですね大和ハウス工業、こんなことをしたらいい、こんなものがあったら良いという思いをしっかりと把握して顧客目線に立った経営を実行してらっしゃる感じがします。

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かつて積水ハウスは、僕の営業時代に住宅業界として初めて1兆円の売り上げを達成しました。
当時の我々は業界1位としての自負と、粉骨砕身で目標達成していくのだという強い想いがいつもあったように思います。
現在積水ハウスは売り上げが3兆円、それに対して大和ハウス工業は 売上高は5兆2千億円と大きく差を広げてきています。(もちろん双方共に素晴らしい実績です)

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積水ハウスのOBとして「負けるな!積水」と心で叫びながらも、大和ハウス工業の業績の推移に敬意を表します。
我々がどうしても勝てなかった商業施設への展開、店舗・事務所・医療・介護・倉庫・工場・不動産開発・エネルギー、ハウジング部門も住宅・マンション・リフォーム・保険・戸建て・運営管理・賃貸、そしてホームセンター、ホテルリゾート、スポーツクラブ・クレジットカード・・・「共に創る、共に生きる」をスローガンにして走り続けています。

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顧客が何を思うか?
顧客が何を必要とするのか?
顧客目線に立った事業形態がここにあると言っていいでしょう。
大和ハウス工業は石橋信夫氏が「先の先を読め」と基盤を作り、樋口武男氏の「熱湯経営」で飛躍して現在の芳井敬一社長へと熱い魂が受け継がれています。


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「なんでダイワハウスなんだ!」というシュールなCMは皆さんもご存じではないでしょうか?
その理由が経営手法に表れていると言っていいでしょう。