新聞やニュースでご存じの方も多いかもしれません。
日本の認知症診療の第一人者であられた長谷川和夫先生が11月13日に他界されました。
92才、老衰でした。ご自身もまた認知症になったことを公表されておられました。

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長谷川先生は愛知県春日井市出身でらっしゃいます。
先生とのご縁を頂いたのは僕がちょうど積水ハウスの春日井店・店長の時でした。
営業で頑張っていた、30年以上前のことです。
ずっと空き家になっていた先生のご実家(愛知県春日井市)の有効利用を積水ハウスにご相談があり、先生が住んでおられた東京の積水ハウスの営業担当である塚田敏店長(当時)と共同で、具体的にアパートを提案させていただきました。

早速現地を確認、調査をしてこれがベストではと考えたプランを提出いたしました。
先生と僕との連絡はもっぱら電話が多く窓口にはもっぱら奥様がお出になる事が多かったように振り返ります。
先生とお話しした印象は、常に紳士で落ち着きがおありで、いつもしっかりと私の話を聞いて下さいました。
そんな先生ですから僕もできる限りの努力をさせて頂いたのは言うまでもありません。
東京の積水ハウス担当の塚田店長とお互いが先生に対して報告や連絡をさせて頂きご契約もさせて頂きました。
先生は当時聖マリアンヌ医科大学の教授であられました。

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あえて大変だったことは、春日井市にあるご実家と周辺の方々との境界が明確でなく官民境界と民民境界の確認で長谷川先生にも東京からおいでいただき、周辺の方も総出で境界確認をした時の事でしょうか・・・。
こうした時にはよく私利私欲がからんだりして裁判沙汰になったりもするのですが、案の定、近所の方々の「自分の敷地はここまである」という主張が飛び交いました。
ご立派だったのは長谷川先生が近所の方々の言い分を全てお聞きになって自分の土地を随分と譲歩されたことでした。

法務局に登記されている土地面積からすると随分と土地が少なくなってしまったように思われました。
先生は「わかりました」と近所の方々の主張を認められて、そういった状況での計画を進めていくよう私たちに指示されました。
またもう一つ、既存の建物の取り壊しの前に以前から建っていた母屋や、蔵の中が随分と知らないうちに荒らされてしまって中に在った様々なものが紛失されてしまったことでした。
これに対しても先生は寛大な対応を示され、私としては心が痛む気持ちにもなりましたが、先生の人間的な寛容さに胸が打たれたことが記憶に残っております。
なお、アパートは無事竣工し先生にも喜んでいただきました。

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長谷川先生は80代半ばまで現場で診療を継続されながら認知症の患者さん達の尊厳を守る活動に取組みもされました。
2004年厚生労働省の検討会の委員として当時「痴呆」という言葉を「認知症」という用語に変更されるため貢献もされました。

4年前ご自身が認知症になられたことを公表されましたが、その後も全国各地で講演を行われるなど認知症の患者さんへの理解を深める為精力的に行動されておられました。

息子さんである長谷川洋さんのお話があります。
お父様が認知症であると知った時の事「実は少しほっとしたんです」とおっしゃいました。
「え?それはどうしてでしょう?」
「父も私も精神科医です。いろんな場所で『認知症を完全に予防することはできません。誰にでもなる可能性があるのです』と言い続けてきました。でも多くの人は『認知症にならない方法もあるのではないか』『専門家は何か知っているのではないか』と思っているみたいでした。父は50年以上も認知症の研究をしている人で、誰よりも認知症に詳しい日本人だと思うのですが、そんな父でも認知症になった、これが『認知症って誰でもなるんだ』という証明かも知れません。当時私がそう言ったら父もうなずいて笑っていました」
ニコニコしながらそう話される息子の洋さん、そして笑い合う和夫先生。
さすが認知症と共に歩み続けた親子です。

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92才、この度素晴らしい生命を全うされました。
改めて長谷川先生に対し、お世話になった御礼・感謝を申し上げます。
先生に出会えたことに感謝し先生の素晴らしい人間性に触れる事が出来たことは幸せでした。

先生の日本の認知症に対しての研究は素晴らしいものでした。
どうぞ安らかにお眠り頂きます様お願い申し上げます。(合掌)