かつて積水ハウス時代、常に意識していたライバル会社が大和ハウス工業でした。
積水ハウスが会社として発足したのが昭和35年ですが、大和ハウス工業は昭和30年創業でプレハブ住宅の創始者的存在です。
実は僕は入社試験で住宅会社として、この2社に応募しています。
当時は積水ハウスの方が勢いもあって積水ハウスに魅力を感じて入社を決めました。

null null

現在はというと、今も双方ともに住宅業界をけん引する超優良企業ではありますが、売り上げ規模は大和ハウス工業が業界ではナンバー1となっています。
積水ハウスは個人住宅部門では秀でていますが、一条工務店や分譲を含めて調べると飯田グループの供給数が群を抜いてもいて業界地図が大きく変化してきてもいます。

あくまで僕の印象ですが積水ハウスは営業力が低下してきているように感じています。
かつて若いころは営業の積水というイメージが強かったですね。
今から考えるとウソのような話ですが、市役所の建築指導課で建築確認申請書類を調べて、すでに確認申請を提出してらっしゃる建築主の方に対しても、営業をしてきなさいと言われて、訪問した思い出があります。
既に基礎まで出来上がっている他社の住宅の契約をひっくり返してきなさいともいわれました。
しっかりした教育もなしに飛び込み訪問の連続、何を話してよいかわからないままの営業からの出発でした。
まさに24時間働き詰めの毎日、毎日が仕事付けの日々でした。
・・・でもそんな毎日が今はとても懐かしく思い出します。
そして会社に対しても、当時の上司に対しても感謝の気持ちでいっぱいです。

また。大和ハウス工業さんとは頻繁に競合しました。
見積の提出し合い、値引き競争もありましたし、何度も何度もお客様宅へ訪問しましたし、玄関前で大和ハウスの営業マンが帰るのも待って、その後訪問したことも多かったですね。
朝まで粘って、土下座して契約をお願いしたりしたこともありました。

コンプライアンスの問題で今では考えられないようなことも、当時の上司からは指示されて、とにかく契約最優先で毎日動いていたように振り返ります。

そんな営業時代、いつもきまって競合するのは大和ハウス工業でした。
価格も類似していたし、構造も同じ軽量鉄骨、外観も何となく似ていて、営業手法も同じような感じでした。
他の住宅会社が営業手法が淡泊な感覚があったのに対して、積水と大和は粘りっこい営業をするのが当たり前化していました。

そんな中でどうしても大和ハウスに勝てなかったものがありました。
それは流通店舗関係でした。
大和ハウス工業は地域の地主さんとの関係つくりをしっかりとやっておられました。
農協(現JA)や不動産屋さんへの営業などもさすが先輩会社である大和ハウスは積水ハウスよりもすぐれていたように振り返ります。
そういったことから地主さん情報も豊富だったのではと思われます。

null null

そんな大和ハウス工業を築いてこられた主な存在が、創業者石橋信夫氏と現最高顧問であられる樋口武男氏といって間違いないでしょう。
先日、PHP研究所から出版された樋口武男氏の『積極精神に生きる』を読ませていただきました。
そこには「なるほど・・・」と思わせる教訓が並んでいました。

「仕事は一人でするものではない。みんなでやるもの。その喜びは、みんなで分かち合うもの。」
「商売は足である。その足とは、人と人とをつなぐ手段である」
「スピードという無形のサービスに人は価値を見出す」
「運をつかむために運のいい人と付き合う。けれども運に頼るのでなく自分に頼る」
「自らの仕事に誇りを持て。ビジネスは1対1、相手の大小に関係なく、お互いに対等である」
「解決の方法は必ずある。そう信じて行動する。諦めない。その熱意と意欲が、仕事の壁を突き破る」
「自分が生きてきたという足跡を残すことが出来るかどうか。その価値は地位や富では測る事は出来ない」・・・・・。


null

世間では樋口武男氏は『熱湯経営』という表現でその経営手法が呼称されていますが、心にしみてくる多くの素晴らしい言葉が並んでいました。
かつてのライバル会社の経営者ではありますが、共感するところは数多くあります。
同じ住宅業界の師と仰いで学ばせていただきました。
「ありがとうございました」