「縁」とは不思議なものです。
また有難いものでもあります。
学校を卒業して住宅会社との「縁」を頂きました。
大学卒業当時は大変な不況時で新規採用0という会社が多かった時でした。
僕は実はマスコミ志望だったのですが志願していた第1志望と第2志望の企業がその年に限って採用0でした。
何か夢が壊れていくような感覚を覚えたことを思い出します。

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友人たちが就職活動の中で順々と内定していくのを羨望のまなざしで見つめながら1月まで就職が決まらない状態でした。
実は第3志望だった広告代理店が第5次試験まであって、そこまで順調に進んだのですが最後の最後(最終面接)で落ちてしまいました。
落胆している折にある「縁」が出てきました。
大学時代コミュニケーションゼミに属して(当時タレント教授と言われ「11PM」という番組のレギュラーであられた教授のゼミ)いました。
サークルは広告研究会に入っていました。
広告には興味・関心が高かったのが事実です。
その延長線で『住まいの参観日』も企画・立案できたのですから・・・。

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1月のある日、ふと見上げた東京の空を飛行船が飛んでいたのです。
その飛行船は(セキスイハウス)とボディに書かれていてコマーシャル活動で全国を飛んでいたのでした。
ユニークな広告展開をしているこの企業に興味を持った瞬間でした。

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そんな折、積水ハウスが第2次募集で新入社員を募集していました。
「住宅業界はこれから良くなる・・・今世の中から必要とされている」と今まで全く考えもしなかった新規の業界の門をたたくことになりました。

「 一つの古き門が閉まれば新しい門が開く」
振り返れば当初入った大学で、弁護士試験に挫折し1年で中退、転部試験に落ちて法政大学社会学部に編入学(2年次)して、それからはマスコミ志願を頭に動いていたのですが・・・。

親族の殆どが公務員の家庭で育った僕にとって民間企業は全く知る由もないどろどろした感覚がありました。
現在のようにコンプライアンスなんてものはありません。
入社して初日から午前2時まで仕事という超ハードな会社でした。
テレビのコマーシャルでは「♪24時間働けますか」という歌が流れていました。
日本中が働き蜂でした。
働くことが何よりの美徳でもありました。

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今の積水ハウスとは全く違って営業力を売りにしているバリバリの会社でした。
「なあにどの会社に入っても精いっぱいやる事は一緒に違いない」と意気込んでくたくたになるまで毎日仕事に向かいました。
…とは言うものの新人ですから簡単に結果は出てきません。
理不尽な思いも数多く経験もしました。
辛い日々の連続でした。

そんな僕を救って下さったのはお客様たちでした。
「あなたはいつも懸命に頑張っているね。今はまだ計画はないけれどそのうちあなたと契約してあげるから…」
そういって下さるお客様が少しずつ増えていきました。
あるお客様がこう僕に言われました。
「あなたの仕事はいいわね。夢を売る仕事なんだから。みんな幸せになりたいから家を創るのですよ。あなたもしっかりと夢を持ってね。」

今では「まさか!」と思われるかもしれませんが、お客様の御自宅に泊まらせていただいたり、食事はどれだけご馳走になったか数知れません。

「夢」を売る仕事、人が幸福になる為のお手伝いをする仕事についているという歓びをいつも胸にして仕事に向かってきたつもりです。
「縁」あって現在も住宅業界のいろんな方々と接点を持ちます。
忘れないで欲しいですね。
幸せを販売する仕事に就いていることを。
そしてそのためには自分自身も常に成長していく事も大切ですね。

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住宅を売る仕事は確かに大きな買い物だけに大変です。
ですが仕事のやり甲斐もひとしおです。
希望を持って前を向いてお客様の胸に飛び込んでいきたいものです。