営業時代ありがたかったことは一つのエリアで17年間という長期間に渡り継続して営業をさせて頂いた事である。サラリーマンにとって転勤は避けられないといっても過言ではない。但し業績を上げていればその人間を他エリアへ移動させるという事も上司としては躊躇するのも現実ではないだろうか。
  17年の間に1度だけだが転勤の話が現実化した事があった。「約束します。実績は落としません。この店で引き続き仕事をさせてください」上司に無理を承知で嘆願して転勤を逃れた。その後幸いにして好業績が続いた。結局マネージャーになるまでの間一つのエリアで継続して営業した。
  人口30万人ほどのその町は名古屋市のベッドタウンであって区画整理が多く住宅建築も盛んで、また大きなニュータウンも抱えていた。もちろん他メーカーも力を入れているエリアであった。我々は大きなニュータウンのすべての土地の所有者を調査し名簿化して戦略した。当時自分の中には経営責任を負うという事と市場責任を担っているという両面が常に存在した。シェアはいつも1位を取る事、しかも第2位のメーカーに倍以上の差をつけてのダントツの1位を取る事を考えていた。特にエリアの特性に敏感に反応し情報をいち早くキャッチして他社よりもスピードを持って動く事に徹していた。区画整理情報、建替え情報、分譲土地情報、そしてその為には地域の不動産屋、銀行、JAとの接触が不可欠だった。また市場調査でデータアップに努めていた。建築の多い地域で毎月催事も重ねた。OB顧客へのPRも忘れず支援を要請していた。クチコミでの広がりもあり、知らず知らずのうちに紹介が増えた。エリアに強い、地域になじんだ営業活動が身を結んでいたように思う。