ようやく「秋」の気配、懐かしい旅を振り返ります。 (2025/09/23)
カテゴリー: 自由
Author: Masahiko Kato
ようやくというか、ここへきて夏から秋への季節の変化が訪れたように感じています。
かつての僕は「秋」という時期に随分と感傷的になる事が多かったものです。
自分では「秋バテ」と言いながら詩を書いたり歌を作った時期もありました。
ここ数年、年を重ねる毎に今迄を振り返る事が多くなってきたように思います。
人は年齢と共に、どこかで壁にぶつかりもし、自らの限界性を知るのかもしれません。
かつての僕はと言えば常に「これから」を語ってきたと自負しています。
懸命にやっていれば、その後が必ずや良くなっていくだろうとのある種の確信があったのかもしれません。
「挑戦」という言葉が好きでしたし、いつも「挑戦している姿勢」を人にも見せたかったし、前向きに何かを追い求める姿に魅せられていました。
先日、大学時代の僕のエッセイとも思える資料を久しぶりに手に取り読み返しました。
何かしら虚しさを持ちながらも、遮二無二生きている実感を掴みたいともがいている自分自身の原点がそこにはありました。
学生時代、東京・板橋の4畳半の傾きそうな古いアパートでギターを抱えて歌っていた自分が懐かしく思い起こされます。
金銭的な余裕がなく、大学へ行く事よりもむしろアルバイトが日常の毎日でした。
それでも旅への憧れは強くなるばかりで、高校時代からの放浪を継続していました。
大学2年の時の16日間の北海道への旅はその顕著たるものだったように思います。

北海道への初めての旅の様子が日記のように書かれてありました。
大学2年の夏でした。
この旅に向けて資金稼ぎでアルバイトに精を出しました。
それでも原則は無銭旅行、上野から青森までは夜行列車、そして青函連絡船で4時間の船旅、函館からはヒッチハイクのスタートでした。
16日間の旅の内、利尻島で「オホーツク」という民宿に1回宿泊しているのですが、あとはというと野宿、駅、公園、列車などの宿泊ばっかりで、寝袋に頼っていた自分がそこにはありました。
固形燃料と持参した鍋でいろいろと食していた事実もありました。


ヒッチハイクでたくさんのドライバーの方々の親切に助けられていました。
若さの持つ特権というか、怖いものなしの冒険に似た旅だったようです。
海で泳いだり、礼文島の桃岩での野宿、知床のカムイワッカの湯の滝など多少無謀さも楽しんでいたように思われます。(幸いにして熊には遭遇しませんでした)
函館・札幌・余市・稚内・礼文・利尻・網走・斜里・阿寒・広尾・洞爺湖・帯広といった旅の工程でした。
毎日いろんな人との出会いがあり、翌年にはこの旅で親密になった北海道の女性と恋愛に発展し一緒に再度北海道の旅を経験する事にもなりました。
毎日が出会い、毎日が新鮮で、生きている実感を味わう旅だったように思います。
貧しかった時期でしたが、心は豊かだった青春の季節でした。
思えば多くのいろんな人たちに助けられていた当時の自分がいたように思います。
感謝、感謝、もう感謝しかありません。
きわめて自由な放浪の日々でした。
明日に向けての自分探しの旅だったような気がしてなりません。

現在は自分が社会に向けて何らかの貢献をすべき立場に立っていると感じています。
最近はシュラフ(寝袋)を背負ったヒッチハイカーの姿を見る事は少なくなりました。
ごく稀にそういった現実に出会うと自分の車に乗車して頂きます。
人生にあって、自分探しを模索する人たちに向けて、仕事を通じて、何らかの働きかけにお手伝いできれば幸せに思います。
毎年この秋を迎えるころ、かつての感傷に浸る自分がいます。
生ある限り 微力であっても「人の為に良かれ」と思われることを実行出来れば嬉しい限りです。
今日も細やかにそのための準備を黙々としています。
かつての自分が「明日」を欲したように、真摯に明日を見つめている人への何らかの方向性、心の準備の手探りへの導きが出来るように・・・。
かつての僕は「秋」という時期に随分と感傷的になる事が多かったものです。
自分では「秋バテ」と言いながら詩を書いたり歌を作った時期もありました。
ここ数年、年を重ねる毎に今迄を振り返る事が多くなってきたように思います。
人は年齢と共に、どこかで壁にぶつかりもし、自らの限界性を知るのかもしれません。
かつての僕はと言えば常に「これから」を語ってきたと自負しています。
懸命にやっていれば、その後が必ずや良くなっていくだろうとのある種の確信があったのかもしれません。
「挑戦」という言葉が好きでしたし、いつも「挑戦している姿勢」を人にも見せたかったし、前向きに何かを追い求める姿に魅せられていました。
先日、大学時代の僕のエッセイとも思える資料を久しぶりに手に取り読み返しました。
何かしら虚しさを持ちながらも、遮二無二生きている実感を掴みたいともがいている自分自身の原点がそこにはありました。
学生時代、東京・板橋の4畳半の傾きそうな古いアパートでギターを抱えて歌っていた自分が懐かしく思い起こされます。
金銭的な余裕がなく、大学へ行く事よりもむしろアルバイトが日常の毎日でした。
それでも旅への憧れは強くなるばかりで、高校時代からの放浪を継続していました。
大学2年の時の16日間の北海道への旅はその顕著たるものだったように思います。

北海道への初めての旅の様子が日記のように書かれてありました。
大学2年の夏でした。
この旅に向けて資金稼ぎでアルバイトに精を出しました。
それでも原則は無銭旅行、上野から青森までは夜行列車、そして青函連絡船で4時間の船旅、函館からはヒッチハイクのスタートでした。
16日間の旅の内、利尻島で「オホーツク」という民宿に1回宿泊しているのですが、あとはというと野宿、駅、公園、列車などの宿泊ばっかりで、寝袋に頼っていた自分がそこにはありました。
固形燃料と持参した鍋でいろいろと食していた事実もありました。


ヒッチハイクでたくさんのドライバーの方々の親切に助けられていました。
若さの持つ特権というか、怖いものなしの冒険に似た旅だったようです。
海で泳いだり、礼文島の桃岩での野宿、知床のカムイワッカの湯の滝など多少無謀さも楽しんでいたように思われます。(幸いにして熊には遭遇しませんでした)
函館・札幌・余市・稚内・礼文・利尻・網走・斜里・阿寒・広尾・洞爺湖・帯広といった旅の工程でした。
毎日いろんな人との出会いがあり、翌年にはこの旅で親密になった北海道の女性と恋愛に発展し一緒に再度北海道の旅を経験する事にもなりました。
毎日が出会い、毎日が新鮮で、生きている実感を味わう旅だったように思います。
貧しかった時期でしたが、心は豊かだった青春の季節でした。
思えば多くのいろんな人たちに助けられていた当時の自分がいたように思います。
感謝、感謝、もう感謝しかありません。
きわめて自由な放浪の日々でした。
明日に向けての自分探しの旅だったような気がしてなりません。

現在は自分が社会に向けて何らかの貢献をすべき立場に立っていると感じています。
最近はシュラフ(寝袋)を背負ったヒッチハイカーの姿を見る事は少なくなりました。
ごく稀にそういった現実に出会うと自分の車に乗車して頂きます。
人生にあって、自分探しを模索する人たちに向けて、仕事を通じて、何らかの働きかけにお手伝いできれば幸せに思います。
毎年この秋を迎えるころ、かつての感傷に浸る自分がいます。
生ある限り 微力であっても「人の為に良かれ」と思われることを実行出来れば嬉しい限りです。
今日も細やかにそのための準備を黙々としています。
かつての自分が「明日」を欲したように、真摯に明日を見つめている人への何らかの方向性、心の準備の手探りへの導きが出来るように・・・。