カテゴリー:自由
author: Masahiko Kato
ようやくというか、ここへきて夏から秋への季節の変化が訪れたように感じています。
かつての僕は「秋」という時期に随分と感傷的になる事が多かったものです。
自分では「秋バテ」と言いながら詩を書いたり歌を作った時期もありました。

ここ数年、年を重ねる毎に今迄を振り返る事が多くなってきたように思います。
人は年齢と共に、どこかで壁にぶつかりもし、自らの限界性を知るのかもしれません。
かつての僕はと言えば常に「これから」を語ってきたと自負しています。
懸命にやっていれば、その後が必ずや良くなっていくだろうとのある種の確信があったのかもしれません。
「挑戦」という言葉が好きでしたし、いつも「挑戦している姿勢」を人にも見せたかったし、前向きに何かを追い求める姿に魅せられていました。

先日、大学時代の僕のエッセイとも思える資料を久しぶりに手に取り読み返しました。
何かしら虚しさを持ちながらも、遮二無二生きている実感を掴みたいともがいている自分自身の原点がそこにはありました。

学生時代、東京・板橋の4畳半の傾きそうな古いアパートでギターを抱えて歌っていた自分が懐かしく思い起こされます。
金銭的な余裕がなく、大学へ行く事よりもむしろアルバイトが日常の毎日でした。
それでも旅への憧れは強くなるばかりで、高校時代からの放浪を継続していました。
大学2年の時の16日間の北海道への旅はその顕著たるものだったように思います。

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北海道への初めての旅の様子が日記のように書かれてありました。
大学2年の夏でした。
この旅に向けて資金稼ぎでアルバイトに精を出しました。
それでも原則は無銭旅行、上野から青森までは夜行列車、そして青函連絡船で4時間の船旅、函館からはヒッチハイクのスタートでした。
16日間の旅の内、利尻島で「オホーツク」という民宿に1回宿泊しているのですが、あとはというと野宿、駅、公園、列車などの宿泊ばっかりで、寝袋に頼っていた自分がそこにはありました。
固形燃料と持参した鍋でいろいろと食していた事実もありました。

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ヒッチハイクでたくさんのドライバーの方々の親切に助けられていました。
若さの持つ特権というか、怖いものなしの冒険に似た旅だったようです。
海で泳いだり、礼文島の桃岩での野宿、知床のカムイワッカの湯の滝など多少無謀さも楽しんでいたように思われます。(幸いにして熊には遭遇しませんでした)
函館・札幌・余市・稚内・礼文・利尻・網走・斜里・阿寒・広尾・洞爺湖・帯広といった旅の工程でした。
毎日いろんな人との出会いがあり、翌年にはこの旅で親密になった北海道の女性と恋愛に発展し一緒に再度北海道の旅を経験する事にもなりました。
毎日が出会い、毎日が新鮮で、生きている実感を味わう旅だったように思います。
貧しかった時期でしたが、心は豊かだった青春の季節でした。

思えば多くのいろんな人たちに助けられていた当時の自分がいたように思います。
感謝、感謝、もう感謝しかありません。
きわめて自由な放浪の日々でした。
明日に向けての自分探しの旅だったような気がしてなりません。

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現在は自分が社会に向けて何らかの貢献をすべき立場に立っていると感じています。
最近はシュラフ(寝袋)を背負ったヒッチハイカーの姿を見る事は少なくなりました。
ごく稀にそういった現実に出会うと自分の車に乗車して頂きます。

人生にあって、自分探しを模索する人たちに向けて、仕事を通じて、何らかの働きかけにお手伝いできれば幸せに思います。


毎年この秋を迎えるころ、かつての感傷に浸る自分がいます。
生ある限り 微力であっても「人の為に良かれ」と思われることを実行出来れば嬉しい限りです。
今日も細やかにそのための準備を黙々としています。
かつての自分が「明日」を欲したように、真摯に明日を見つめている人への何らかの方向性、心の準備の手探りへの導きが出来るように・・・。







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author: Masahiko Kato
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「暑中お見舞い申し上げます」

全国的に(というか全世界的に)暑い日が続いています。
僕の身近でも熱中症にかかった人がいますが、みなさんどうかお気を付けください。

毎日のルーティンでウォーキングをしています。
夕方過ぎてもまだまだ暑い状態ですが。それでも暑さ対策で首に濡れた手ぬぐいを巻いて、モチベーションアップのための音楽を聴いて、短パンにTシャツで、リハビリを兼ねた運動は腰の手術後2年半を過ぎました。
思うように回復してくれない体に対して歯がゆさも感じながら、それでも自分との戦いと言い聞かせて約50分の時間を費やしています。
長い期間こうやって運動を繰り返していると、顔なじみの人たちが出来てきます。
元気にジョギングする人から、犬を連れた散歩の人、ご夫婦で仲良く歩かれている方、そして何かしらの障害をお持ちの方…色々です。

懸命に頑張っている人たちとすれ違うと励まされます。
幸いにしてウォーキングの道は 僕のオフィスから5分の場所で地元にある遊歩道です。
気持ちの良いとっておきの場所でお気に入りです。
推測ですが、花見の季節や、花火の時期などの他は殆どの人が健康管理を考えて運動なさっておられるのでしょう。
自分と同じようなリハビリ状況下にある人もいらっしゃいます。
そんな人に遭遇するとすれ違うたびに「頑張ってください」と心で声掛けしています。
健康管理のライバルと言ってもよいですね。

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企業においても仕事上のライバルを設定する事を推奨しています。
同じ組織内で、同じ目的を持っているわけですから、お互いに競い合う事が仕事への活力になるという事です。
僕のコンサルティングは机上論はありません。
自身の経験の裏付けのもとの推奨です。
成功体験を伝授するわけですが、真似をして頂ければほとんどが成功します。
「学ぶ」という言葉の原点は「真似する」ことから来ています。
実際、今の仕事でも随分と多くの企業に対して「ライバルの設定」を実行しました。

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僕は人は本能的に競い合いたいという気持ちを持っていると思っています。
我々の世界そのものが、資本主義であり、競争原理が当たり前に存在します。
競争があるからこそ企業の成長も、業績向上も出てくるものであろうと考えます。
方法としてライバルに対しては期間限定ですが「挑戦状」を提出します。
そして挑戦状を頂いた社員は「挑戦受諾書」を渡す形になります。

そして「挑戦状」には競い合いに勝利した時には相手から何らかの報奨をもらうような約束ごとを実行します。(あくまで無理のない範囲です。)
これはお互いがやる気アップしていく為の手段です。
お互いが面白感覚で楽しく、ライバルを意識して、負けないような頑張りを見せて、約束の期間に競い合っていただくという事です。

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相乗効果という言葉がありますが、ライバル設定の効果が多くの機会に現れました。
最近も関与先企業においてお薦めをし、実行の運びとなりました。
真似する事は大切な事、ぜひ実行してみてください。
お薦めですぞ!!



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author: Masahiko Kato
ご存じの様に好奇心が旺盛です。
やりたいことを行動に移してきました。
不器用ですが、そうやって結構我儘に自由さを保って生きてきたつもりです。

そんな中で趣味の一つに映画鑑賞があります。
そのルーツをさかのぼれば学生時代に池袋の文芸座でオールナイトの映画をちょくちょく見に行っていたことでしょうか。
狭い劇場でしたが、観客はいつも満員状態、任侠映画等、出演者が一人ひとり画像に映し出されるだけで、その都度「ウォー」という大きな歓声に館内が包まれたものです。
その独特の高揚感や雰囲気が大好きでした。

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昨年、映画を35本観ました。
年間に30本を目標にしていましたから予定以上です。
今年も1月は7本と過去最高で映画館へ足を運びました。
2月以降は月1-2本ペースで落ち着いていますが時間を作って足を運んでいます。
かつてと比べて映画館は設備が随分と良くなっていますね。
音響も素晴らしく、実に気持ちよく鑑賞できます。
但し2時間以上の大作になると、途中でトイレに立たないように、また空腹状態や睡魔にも注意が必要でもあります。(現実的な話です)
体調も万全で見る事が肝心です。
インドは映画が盛んですが、インド映画は3時間を超える作品が一般的です。
「RRR」などインド映画の特徴でもある独特の作品は踊りあり、アクションありで目が釘付けになりました。
日本映画ではかつて懐かしい小津安二郎監督作品ですが「東京物語」は途中休憩がありました。
「アラビアのローレンス」も4時間ほどの超大作だった記憶があります。

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最近ではトム・クルーズの「ミッション・イン・ポシブル」ブラッド・ピットの「エフワン」を鑑賞しました。
感心するのは主演の二人のアクションのすばらしさ、よくまああんなにというくらいに動きまくります。
勿論、色々と工夫はなさっておられるのでしょうが、トム・クルーズは1962年生まれの62才です。
確か僕が「トップガン」で目を皿のような状態にしてくれたのが1986年、「ラスト・サムライ」での活躍が2003年だったように記憶しています。
今回の作品でもスタントマンを使わないでの空中アクションはもうハラハラドキドキ状態でした。
常日頃からしっかりと鍛えている素晴らしい肉体には魅せられます。

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ブラッド・ピットも1963年生まれの61才の筈、「エフワン」での2時間40分の映像の殆どがレースの画像で、すべての映画をぶっちぎるような感覚の超高速体験、彼もまた衰えを知らないアクションの数々を見せてくれました。

実は最近、少しばかり自分の年齢が気になってきています。
そんな僕のネガティブさを吹き飛ばしてくれる二人の活躍はモチベーション・アップに貢献大と言えますね。

最近の日本映画では寺尾聡さんの「父と僕の終わらない歌」に感動し、10月に封切りの吉永小百合さんの「てっぺんの向こうにあなたがいる」も待ち遠しいですね。
映画によると、なんでも人生は8合目からが面白いらしいですから期待大です。

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7月25日からのどちらも日本映画で戦争が題材ですが、堤真一主演「木の上の軍隊」もいいし、8月は竹野内豊主演の「雪風」に魅せられます。
新シリーズの「ジェラシック・ワールド」もウキウキですし、11月の「TOKYOタクシー」は倍賞千恵子と木村拓哉の共演で、生きる、乗せておろしてまた生きる…の世界観も楽しみです。

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映画を鑑賞した後には次はこの作品を…といつもながら頭にインプットするのが僕のルーティーン、話題作「国宝」が次の候補です。





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author: Masahiko Kato
欲張りなんでしょうか?
いろんなものに興味や関心があります。
この年になってもやりたいことがたくさんあります。
いやむしろ年齢が高くなってから色々とやりたいことが増えている感じさえあります。
時のすぎていくのが速いですね。
毎日があっという間に過ぎ去っていきます。
おそらくは好きな事をやっているからかもしれません。
何でも楽しい事は時間が短く感じるものですね。
例えばスポーツ観戦、映画鑑賞、食事作り、そして仕事も楽しいものです。

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直近の『住宅産業新聞』に積水ハウス建設の入校式での社長の教育訓練センターの話が掲載されていました。
「好きな事を仕事にできている人は、世の中のほんの一握り。皆さんは好きな事を仕事にできる幸せへのスタートラインに立てた」とエールを送ったという事です。

振り返れば僕もサラリーマン時代、住宅営業の仕事に大変さも感じていましたが、徐々に契約が取れるようになって、竣工した住まいをお客様とご一緒に喜びを共有する機会が増えていくと楽しいという気持ちが起きてきたように思います。
お客様の一生の一番大きな買い物であろう住まいを、お客様と一緒になって味わう歓びはひとしおでした。

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あるお客様からこういわれました。
今でもはっきりと記憶しています。
「あなた方の仕事は素晴らしい仕事ですね。作品である住宅が徐々に出来上がっていく建築の過程を見つめ、完成の折にはお客様と一緒になって喜びあえるんですね。実に羨ましい、大変かもしれませんがやりがいのある仕事ですね」と。

ハッとして覚醒したことを覚えています。
そういったことを意識し始めるとなおさらに住宅の営業の仕事が楽しくなっていったような感じがしてなりません。
支店長(マネージャー)としての仕事もまた楽しいものでした。
今も多くの社員さんの一人一人の顔、取引業者さんの顔が瞼に浮かびます。
皆さんに支えられて自分があったと振り返ります。
毎日が走馬灯のように流れていきました。

そして現在の仕事も一期一会の出会いもありますし、また関与先の企業様の業績の進捗も常に気になって向上していってくれるのが嬉しくてたまりません。
自分と同年齢の人たちが少しづつリタイアしていく寂しい現実も垣間見る事がありますが、まあこの辺りは自然体で考えるようにしています。
「我が道を行く」といった感覚でしょうか。

最近はコンプライアンスの関係もあって、かつてはこのブログにもいろいろと関与先企業の情報を具体的に書かせて頂きもしましたが、現在は企業情報はなるべくはあからさまにはしないように心がけています。
時代の変化と言ってよいでしょう。

顔を出させて頂いている企業様においては、なるべくは仕事を愉しむような工夫を提案もしています。
いつも申し上げますが社員さんが愉しんで仕事をしている会社が業績アップしている様な気がしてなりません。
そしてまた自分の仕事上の義務として、皆さんに仕事を楽しむための提案をするようにもしています。

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夢の実現に向けて邁進していってくれた社員さんも数多くいらっしゃいます。
このブログでも紹介しましたが、東京の支店時代の社員さんである現在M&Aキャピタルパートナーズの社長である中村悟君などはその典型です。
東証一部上場の企業となり、社員の1人当たりの年収は全国第1位です。
素晴らしい夢を実現しています。
彼一人にとどまらず、素晴らしい人生を歩んでいる人たちが生まれています。

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彼らの情熱に少なからず灯を付けることが出来たのは、今の自分の誇りでもあります。
関与先企業に合っても、業績の伸びは顧問として、講師として嬉しい事です。
徐々に歩みは、少なからず細くはなってきましたが「好きな事」を継続する歩みは失いたくないですね。
「意志あるところに道あり」
悔いなき人生を全うしたいものです。






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author: Masahiko Kato
仕事で東京へ。
学生時代と、サラリーマン時代(3年間)に住んでいた街です。
今でも魅力的で、時折顔を出すと決まって東京の街の新しい顔や、懐かしい人に会いたくなります。

学生時代は家賃が8000円の4畳半で共同トイレ、銭湯通いの古いアパートに居住、お金もなくアルバイトばっかりの生活だった感じがしますが、それでも毎日が刺激的で振り返ると楽しかった思い出ばかりが頭をよぎります。
未来を夢見て希望に燃えていたこともあるでしょう、若さとは何よりの財産ですね。

サラリーマン時代はまたそれはそれで忙しい毎日の中、充実した日々の連続だったような気がしてなりません。
単身赴任で国立市の家賃16万5千円の1LDKのマンション生活は快適でした。
150人ほどの社員さんを抱え、年間売上160億円、仕事、仕事の連続でした。
会社からの支店長としての交際費を有効に使い社員や、業者さんとほぼ毎日食べる、飲む、歌う・・・とコミュニケーションを図っていました。
とにもかくも無我夢中、懸命に仕事に向かっていたように振り返ります。

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今回の東京出張は久しぶりに学生時代の友人を呼出し、昔を懐かしみながら時間の共有です。
気を遣わず、今でも言いたいことを言いながらノスタルジーにふける時間は楽しいものです。
お互いではありますが、長い年月を経て、ついつい老いも感じるわけですが、彼らの屈託のない笑顔に出会えることは幸せですね。

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限られた時間の中で大好きな「はとバス」に乗車しました。
今回はスカイツリーに登ったり、街中を散策したり、イルミネーションを巡ったりの天井の無い2階建てのナイトバスツァーです。
確か以前は「オオ・ソレミーオ」をもじって「オオ・ソラミーヨ」というネーミングのバスだったように思います。
ここの所寒くもなって、屋根のないバスは風が強くも感じましたが、それでも快適に約3時間の小旅行を友人と共に楽しみました。

この「はとバス」ツァー、東京駅の丸の内口から歩いて5分と便利なところに乗車口が存在します。
創業は1948年と言いますから76年目ですか、色々と変遷があって今日に至ってます。
1958年東京タワーが出来たころからは大盛況、「はとバス」の知名度が一気に上昇したそうです。
東京ディズニーランドも追い風となった様です。
が、逆にオイルショックやバブル崩壊時には存在の危機にも至って大変だった様です。

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いろいろとバスツァーが体験できるのがいいですね。
朝早くからの「日光コース」や、「鎌倉・江の島コース」「箱根コース」などもありますし、僕が経験した中では劇団四季の「キャッツ」を観劇するコースや、「東京湾クルーズ」などもあります。
他にもたくさん、「大江戸ハイライトコース」や、「浅草演芸場」に行くコース、「東京のグルメツァー」や、「食事をしながらの隅田川下り」「芸者さんと遊ぶツァー」や、普段はちょっと行きにくい「ゲイバーツァー」や「ホストクラブツァー」もあったように思います。
時代と共にいろいろと工夫があって、その都度楽しめます。
予約も必要なコースもありますが、ついぶらりと乗車するような1時間コースもありまして多種多様でもあります。
個人的には屋根のない2階建てバスツァーが好きで、この日も寒かったのですが風を心地よく感じながら周遊しました。

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東京の街はいつも動いていますね
こうやって東京へ顔を出すと自分も時代に置いていかれてないような感覚になります。

初めて東京を訪れたのは中学校の修学旅行でした。
国会議事堂や皇居、東京タワーや、銀座、夜景の美しさに魅せられました。
今ちょっと困るのは、随分と宿泊費が高騰してきたことでしょうか・・・オーバーツーリズムの影響からかもしれません。

人の多さに「人に酔う」感覚になってしまう事もあります。
最近は満員の列車に、ついつい躊躇してしまう事もありますね。
この街でいざ大災害が起きたらなんて思ってしまう事も・・・。

それでも東京は魅力を持っています。
東京の街は博物館や美術館、演芸場やたくさんの観光スポット、スポーツ施設の多さ、日本の中心としての数々の魅力がここには存在します。
何らかの刺激が満ちていて退屈はしませんね。
時々は顔を出してみたい街、1年に最低1回は訪れたい場所でもあります。

今の僕にとって東京はセトラー(住人)でなくトラベラー(旅人)となりました。
いつまで東京を散策できるのでしょうか。
可能な限りこれからも東京の放浪をしたいものですね。


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author: Masahiko Kato
サラリーマン時代の同僚を誘って愛知と岐阜の県境に足を運んでいます。
11月23日から12月1日までの9日間だけのイベントがあって、機会があればいつかきっと見学しようと考えて、ようやくというかその機会に恵まれました。

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ここは「愛岐トンネル群」と呼びます。
「未来に伝えたいものがあるんだ」との主催者側のチラシを頂きました。
何でも国の3大廃線トンネル群がここに存在していて(明治33年開通当時のままのものが残されています)丁度秋の紅葉の時期に合わせて、渓谷の秋を満喫しながら散策するというもの、お聞きすると15年ほど前から実行されてきているとのことでした。
ちなみに日本3台トンネル群というと、碓氷峠(群馬県)と、旧北陸線トンネル(福井県・滋賀県)と、今日の愛岐トンネル群を指すようです。

会場には駐車場は一切ありません。
久しぶりに中央線に乗車してカタコト走って定光寺駅で下車します。
普段は乗降客もない中央西線JR「定光寺」無人駅なんですが、このイベントが行われる1年のうちたったの9日間だけは臨時の駅員さんが10人近く立たれ、この日ばかりは普段は止まらない快速列車も止まってくれます。(ありがたいですね)
午後から雨が降ってくるかもしれないとのことで、若干の不安も持ちながら現地に向かうとなんと平日にもかかわらず、ヒト、ヒト、ヒトの列でした。
(見学中の午前中は天気も崩れる事もなく無事に散策が出来ました)
この様子では土曜、日曜、祝日は大変な人でしょうね。

一つだけ残念だったことは期待していた紅葉がいまだ時期早しといった感じでちらほらとした状態でした。
距離としては片道が1,7キロ、リハビリ中の僕としては丁度良い距離だったように思います。
3号トンネル(75m)、4号トンネル(75m)、5号トンネル(99m)、6号トンネル(333m)とあり、中々趣きがあります。
あたかもSJ列車が蒸気を挙げて、「ポー―」と大きな汽笛を鳴らしながら走ってくるのではという感覚に襲われもします。

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そういえば幼児期、あの汽笛の音が怖くもありました。
が、今となっては懐かしく、魂の故郷に帰ったような感覚にもなります。

この1,7キロのトンネル群がとても魅力的に創られていたことに感心しました。
開催の年によってもいろいろと趣味嗜好を凝らしているようです。
例えば、ジャングルジム、笹迷路、ボルダリング、ターザンブランコ、大きなSLの動輪が展示され、残存物のパネルも、今年は6号トンネル内が妖怪隧道となっており、おなじみの目玉おやじや一反木綿などの妖怪が出迎えてもくれました。
トンネル内は暗くて、またそれがいい雰囲気を醸し出しています。

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トイレにも困らないように、またおなかが空いたときの為にも弁当や飲み物が途中途中に用意もされ、ボランティアで頑張っておられる方々の親切な説明もあり、気持ちの良い想い出作りが出来たように振り返ります。

単純にトンネルくぐりではなく、いろんな付加価値を付けて趣のあるショーを演出している感覚が素敵でした。
なんでもアンケートによると、もう一度この愛岐トンネル群を訪れたいとする人は、ぜひ訪れたいという方が52%、訪れたい人が38%という結果が出ています。
毎年堅実に来場者数が伸びてきており2008年に始まったこのイベントの来場者数は40万人に達しようという勢いです。
知る人ぞ知る…といった感覚から始まりましたが、口コミでの伝道もあり段々と数を増してきているんですね。
片道1,7キロの散歩路が玉野渓谷の流れを見ながら、大自然に抱かれて、おもしろおかしいイベントにも魅了されあっという間の2時間でした。
幸いにして足の痛みもなく、一緒に言った仲間も感動を味わったようです。

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1年の内たったの9日間だけのイベントは何か貴重な体験という感じもします。
寒くもなく健康的な仲間との時間の共有が充実時間を作ってくれました。
生きている実感を味わっています。こういった時間に感謝ですね。


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author: Masahiko Kato
ほとんど毎日、ウォーキングで自分なりのリハビリをしています。
イヤホーンから聞こえてくるのは吉田拓郎、「♪今日までそして明日から」です。

「あなたは放浪癖があるから・・・」かつて母親に言われたことがあります。
振り返れば高校1年時のクラスメイトとの旅から始まって、その後はヒッチハイクでの一人旅、シュラフとリュックを背負って、固形燃料や食料も入れての彷徨いが始まりました。

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高校はもう義務教育ではないからと、ちょいちょい学校をサボタージュして夜中に家族に気づかれず静かに家を出ていたなんてこともあります。
学校は何とか最低の出席日数だけは確保して何とか進級はしていました。
唯そんな日常でしたから当然ながら成績は悪く、通知表で初めて学科によっては5段階評価の1の評価もあり、2年からは進学コースに入れなく女子の多い短大クラスで学ぶことになってしまいました。
両親は共に教育に従事していたのにも関わらず、僕の我儘を放任してくれていました。
感謝しかありません。(今も毎月1回のお墓参りは欠かしていません)
とにかくあの頃は怖いものがなかったですね。
金はないから取られるものは無いし、体は健康そのものだし、好きな時にふっと誘われるように、ガソリンスタンドなどで運転手さんにお願いして乗車させてもらいヒッチハイクの旅を繰り返していました。

高校2年次の文化祭に「旅のエッセイ」と名付けた書き物を出店した思い出がありますが、その中に「将来旅を日常化したい」という思いを綴りました。

高校卒業と共に、まずは社会人経験をと大阪で開催されていた万国博フランス館で働きました。
18才ですから一番の若手、至らない事が多かったと思います。
先輩たちは何かと親切に教えて下さいました。
多少ともグローバルなものの見方が自分の中に芽生えたのは万博で小さな世界を見たことに影響されたかもしれません。
いい経験でした。
その後、今でいうフリーター感覚で浪人生活を送りながら名古屋でお医者様の家に間借りして河合塾で1年半、当時弁護士になりたいと、また東京か京都か迷った挙句一端は法学の道に進みました(中央大)
ところが周囲はねじり鉢巻きで朝夕机に向かう学生ばかり、勉強についていけず挫折、その後はマスコミ関連に魅せられて文学部哲学科社会学専攻の転部試験を受けましたが不合格、法政大社会学部の2年次編入試験に受かって入学金は2度支払いました。(親不孝な息子です)

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1ドル360円の時代はさすがに海外旅行というわけにはいかず、また英語が苦手だったという事も行かなかった理由にあったように思います。
その代わりというか国内の無銭旅行だけは随分と数多く行かせて頂きました。
北海道・礼文島・桃岩のてっぺんで野宿した思い出をはじめ、冒険に近い旅の連続だったような感がします。
その分大学には顔を出す機会が少なかったように記憶します。
それでもゼミ(マス・メディア)とサークル活動(広告研究会)だけはちょいちょい顔を出していました。
東京での生活は経済的には結構大変で4畳半8000円の古いアパートに居を構えながら銭湯に通い、共同トイレ、アルバイト生活で生活していました。
まさに「神田川」の世界でした。
フォークソング全盛時代でギター片手によく歌ったものです。
吉田拓郎の曲は今もウォーキングの際にイヤホーンから流れる定番となっています。

就職時は大不況、目指していたマスコミ関連も志望していた東海テレビ、中日新聞は採用なし、広告代理店は5次試験(最終面接)で落とされる始末、1月まで就職が決まってない折に偶然空を見上げた時に積水ハウスが「セキスイハウス」と大きく書かれた飛行船を飛ばしており、これからは住宅業界が伸びていくに違いない。
この業界がいいかもと入社に及びました。

積水ハウスへ入社して驚くことばかりの日常でした。
仕事、仕事の毎日の連続でした。
働くことが美徳、僕もいつの間にか猛烈社員の典型だったようにも思います。
とにかく忙しい、大変、寝るのも惜しんで働いたように感じます。
だからでしょうが、業績も上がりました。
「住まいの参観日」を企画・立案、全国トップの支店業績等・・・。
社員さんが本当によく頑張ってくださいました。
そのお陰で本当にたくさんの思い出が業績されています。
変化の多い毎日、思い出がいっぱいの凝縮した日々でした。

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積水ハウスでの経験を糧に起業して20年前から全国での仕事を頂いています。
沖縄県だけは仕事していませんが、後の46都道府県はご縁を頂き、またそのうち約半数で顧問の仕事もさせてもらって、全国各地の旅をさせて頂いています。
新幹線乗車とホテルの宿泊数は数え切れませんね。
会社員時代には48回にわたって海外の旅も経験させてもらいましたし、起業してからの10年間は年間150回ほどのホテル宿泊、まさに旅から旅への放浪生活でした。
まさに感謝・感謝の毎日でした。

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コロナ禍に合って生活形態が変化しましたが 「一期一会」のたくさんの御縁を頂き
感謝の人生を送らせてもらっています。

現在は2年前に大きな手術をしましたので健康面での問題もありますが、リハビリを重ね回復基調にあります。
おこがましいと言われるかもしれませんが、出来ればもう少し社会貢献したい、自分の中で心の旅をしていたいと感じています。
まさに放浪人生だったように思います。
我儘を貫いてもう少し、可能ならば社会貢献も含めて放浪してみたいと思っています。

「今日まで、そして明日から」のメロディが流れています。


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author: Masahiko Kato
今月の月刊誌PRESIDENTに作家でありタレントでもある志茂田景樹さんが掲載されていました。
とても懐かしい感じがしてその記事を読ませて頂きました。

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志茂田景樹さんとの出会いは積水ハウスの支店長時代、出張中にたまたま大分でお会いしました。(もう30年ほど前の事です)
当時大分は空港から市内までオーバークラフトが運行されていて(その後廃止され、今はまた復活している様子です)その中で、中央大学の先輩である(僕は1年時だけ中央大学でした)志茂田さんにご挨拶をしたことが始まりでした。
その後、僕が東京の支店長時代、志茂田さんの御自宅を創らせていただくことになって(これは営業さんの頑張りがあったせいですが・・・)住まいの完成時に志茂田さん家族をお招きして新築のお祝い会をさせて頂きました。
当時はお元気で、とても楽しい方で、随分とお酒も飲まれていたように振り返ります。
特に梅の入った焼酎がお好きだという事で、飲みながらいろいろとお話をさせて頂き、思い出に残る貴重な時間を過ごさせて頂きました。
その後は年賀状のやり取りが何度かあったでしょうか。

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あの奇抜な服装でタモリさんの「笑っていいとも」で3年間ほどレギュラーもしておられました。
一般には、どうしてもその印象が強いのですが、もともとは「黄色い牙」で直木賞を受賞しておられますし、数多くの小説、絵本作家、「よい子に読み聞かせ隊」と名打って奥様と共に全国各地に出かけられてもおられます。

2018年関節リウマチ、2019年には腰を骨折され、そして84才になられた現在、要介護5の車椅子生活となられたようです。
そんな中で「過去に執着せず、今に愛着を持て」と紙面ではおっしゃっておられました。
車いす生活で介護の人が付かないと外出は無理、関節リウマチの悪化で体の可動範囲は凄く狭い、ベッドから車いすに移乗するのも一人ではできない。
トイレに行くのも一苦労で、現在はオムツを使用なさっておられるようです。
そんな中でも体調の良い時は1日3時間程度、パソコンで文章をひねり出す、単発のエッセイを書かれる・・・生きておられる間は少しでも前へ進むことが心の糧になっておられるとのことです。

文章からは懸命に生きておられる姿勢が伝わってきました。

かつては健脚で新宿からの長距離をご自宅まで歩いて行きかえりするなどしておられたことを僕はお聞きしていました。
当時とはずいぶんと変わってしまった現実に驚きもしましたが、それでもしっかりと前を向いて生きておられるその姿に感銘も受けました。

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現在は自宅で介護サービスをフルに使って生活をしておられ、朝の着替えや、ベッドから車いすへの移乗はヘルパーさんにお手伝いもしてもらっておられるようです。
介護ネットワークがあるという環境の中で、今も作品を書き続けておられます。
明日、死に神がやってきて明日でお前の命は終わりだよ、それが天の定めだよと言われても冗談だろうと受け流しながら。それでも今やっている小説を1行でも2行でも書くでしょうとご本人はおっしゃっておられます。
完成には程遠くともそこまで一生懸命にやってきたんだから、それでいいんだと、受け入れる、それが最後の自分なりの納得ではないでしょうかと言われていたことがとても印象的でした。

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author: Masahiko Kato
当たり前の話かもしれませんが、忙しく仕事をする人は決まって時間を大切にする人が多いものです。
また仕事を充実させるためにも、自分の余暇も楽しんでおられるようです。
この辺りのメリハリがしっかりしておられますね。

参考になるかどうかはわかりませんが、恐縮ですが僕なりの人生の楽しみ方を今日は書かせていただきます。
参考になれば幸いです。
年齢のせいもあるかもしれませんがとにかく毎日の時間の流れる速度が速く感じられます。
それも年々加速度がついてくるようで、そうなると毎日を密度が濃い生活になる様工夫する必要があります。

例えば出張に出る際の楽しみ方としては、仕事をした分自分にも多少の褒美を与える事、無理はできませんが極力実行するように意識しています。
現実的な話としてこんなこともあります。
仕事場の近くの観光列車に乗ってみるなんていうのはどうでしょうか。
僕も知らなかったのですが日本には何と150車程の観光列車が存在しているようです。。

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数か月前のことですが、仕事時間を計算した上で観光列車に乗ってみました。
そうは言うものの、観光列車はマニアの方も多く、皆さんがよく勉強もしてらっしゃって列車によってはなかなかチケットが取れません。
JRはかつての国鉄から民有化され現在は7つの企業となっています。
JR貨物と、JR北海道、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR四国、JR九州の7社です。
仕事で頻繁に訪れた際に乗車するR九州はその中でも一番の優等生、経営上では模範の会社です。
「ゆふいんの森」「あそぼーい」「海彦・山彦」「指宿のたまて箱」「いさぶろう・じんべい」「A列車で行こう」など列車の名前だけでもユニークで乗車したいという気持ちを強くしてくれます。

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観光の方や旅行会社、マニアの方々が随分と購入しておられるようでなかなかチケットが取れませんでしたが、たまたま偶然というかタイミングが良くて「A列車に乗ろう」のチケットが取れました。
観光列車だけあって海外からの観光目当てのお客様もおられましたし、列車内はきらびやかな感覚、売店もあり、コンセルジュのごとき乗務員さん達も感じがよく、もともと乗車距離が短い事もあるのですが、乗車時間が本当にあっという間でした。
実に楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものです。

またこれも人気があるようですが寝台列車も魅力的です。
例えば「カシオペア」「ななつ星」「四季島」「銀河」「サンライズ出雲」などでしょうか。
残念ながら個人的にはまだ乗車しておりません。
是非、機会を作ってそのうち乗車してみたいものです。

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仕事においても上司は社員の一人一人に対して、やりたいことを見つける、やらねばならない事を意識させることが必要だと考えます。
夢を持たせることが重要でもあります。
そうして仕事が楽しいと思えるように工夫していくしかないですね。

上司は「君にしかできない」「あなただから任せる」といったメンバーへの期待が大切で、しっかりと認めてあげて仕事に向かわせることがとても重要だと思います。
そしてやるべきことをやった時は忘れないようご褒美もしっかりと与えましょう!!

カテゴリー:自由
author: Masahiko Kato
高校1年生の時友人に誘われて初めて旅に出ました。
男4人の静岡への1泊2日の旅でした。
この時初めて新幹線こだまに乗った記憶があります。
家族旅行は別として、この時が個人的な旅のスタートでした。

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高校2年の春、クラスメイトM君と2人で春休み15日間を利用し九州一周の旅に出かけました。
クラスメイトの親戚が長埼・平戸にあって、そのお宅に宿泊させてもらって、その後は一人ずつになって最終日に北九州で一緒になって帰ってきました。
九州までは超満員の鈍行列車に揺られて、平戸から佐世保へ船に乗り、その後はもっぱらヒッチハイクの旅、学校やお寺、公園や駅などをお借りしてシュラフで寝ました。
往復の切符と少しばかりのお金を持っていましたが、ほとんど文無し、若くて健康ですから当時は怖いものなしでした。
背中に背負ったリュックの中には固形燃料やインスタントの食料がありました。

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旅の途中にはサプライズもあるものです。
宮崎・青島では高校1年時の担任の先生が新婚旅行中でばったりと遭遇しました。
鹿児島の指宿では入った銭湯がなんと混浴でびっくりしました。

親には心配かけたかもしれませんが、義務教育でないのに甘えて高校時代はとにかくよく学校を休みました。
何とか落第は逃れたものの、始めて通知表に1という評価を頂いたのはこのころです。
とにかく勉強しなかったものですから・・・。
そして高校2年以降は1週間以内の短い旅を何度か経験しました。
その全てがヒッチハイクと無銭旅行でした。
高校卒業後は社会人となって働き、社会人・浪人を経て2年後に大学に入ったことも旅でした。
また中央大を経て弁護士の夢に挫折経験し、2年次から法政大に編入したのもある意味旅だったかもしれません。
就職困難な時期でマスコミの夢を断ち切ったのも今となってはよい経験でした。

高校の文化祭に『旅のエッセイ』という文集を出典しました。
そしてその中に「自分は将来旅を日常化したい、それが夢」と書かせて頂きました。

新婚旅行が僕にとって初めての海外旅行でした。(行先はギリシャでした)
目を患いアテネで病院へ行った想い出があります。
1973年までは、1ドルが360円の時代で海外の旅は高価なものでした。
その後は家族で、また会社の旅行で随分と国内外の各地を旅行させていただきました。

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サラリーマン生活を終え住宅会社の顧問を中心とした生活をさせて頂いています。
独立して19年経過しました。
有難いことに沖縄を除く46の都道府県で仕事の御縁をもらいました。
北海道も丸2年間、毎月2回の仕事をこなしました。
全国各地に多くの貴重な財産となる思い出が作れました。
そして、お陰様でたくさんの感動を味わうこともできました。
コロナ禍になる前の10年間は年間にホテル宿泊が150泊という日々を送りました。
まさに「旅を日常化する」自己実現だったように思います。

かつて母親に言われました。
「あなたは放浪癖があるね」と。
何でも父方の祖先(父親の曽祖父)が虚無僧となって家を出て帰らなかったそうです。
そんな血が身体を流れているのかもしれません。

コロナを起点として仕事量は減ってはいますが、まだまだ旅は継続中です。
忙しさがなくなり、自由な時間が増えました。
かえって良かったのではと思ってもいます。
1年前の腰の手術以来、週2日のリハビリが続いています。

こうやってこのホームページ上でのブログも2004年から2500回を超えてきています。
心の旅が続いています。

旅を経験するたびに世界は狭いとつくづく感じています。
私達が住む日本はというと飛行機で飛べばたったの2時間、小さな国です。
戦争なんかやればすぐにでも壊れてしまうでしょう。

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地球温暖化で異常気象が続いています。
今迄例を見ない火災や台風、地震も起きてきています。
環境問題が深刻化してきています。
地球規模で将来を考えなくてはいけない時代に、絶対にあってはいけない戦争が現実化しています。(悲しい事実です)
そこは破壊の世界です。

住宅建設の仕事は建設的な仕事です。
住宅建設の仕事は人を幸せにする仕事です。
平和な生活を建設しようとする素晴らしい仕事です。
こういった仕事に就かせていただいたことに感謝しながら、もう少し旅を続けていきたく思っています。

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今もなお、毎日が学びの連続です。
手術で少し不自由になった身体と戦いながらも、住宅建設に情熱を持ち続ける仲間と一緒に毎日を旅していきたいと望んでいます。