懐かしい若き日、多感な時期だけに悩み、迷い、虚しさも味わった思いがあります。
そんな時代は逆に、様々なものに興味を抱き、関心を持ったことも事実です。
浪人時代、その後の学生時代、とにかくお金だけはなかったですね。
振り返るとなんであんなに空しさを感じていたのか、大学へ行くより金銭的に不自由でしたからアルバイトばっかりの日々でした。
家庭教師、牛丼店、居酒屋、キャッチ販売、ビール運送、地図の営業、スーパー店員、ガードマン等色々とやりました。

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学生時代、そんな中で影響を受けたのは映画と書物、そして音楽でした。
池袋の深夜映画、学生たちでいつも満員状態でしたね。
キャストの一人一人が映像に出てくるたびに歓声が沸きいつも盛り上がっていました。
やくざ映画に出てくる高倉健さんは当時の僕の中ではヒーローでした。
反体制の姿勢が観客に受けたのでしょうね。
その後、山田洋二監督の「幸せの黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」の健さんはもっと好きになりましたが・・・。

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音楽はフォークソング全盛時代で毎日のようにギターを抱えて歌っていました。
今でも大好きでウォーキングの度に耳にしている吉田拓郎、岡林信康、加川良、高田渡などはもう夢中でしたね。
自分でもオリジナルで作詞・作曲していろいろと歌っていました。
ギターは何よりの心のよりどころだったような気がします。
夜は4畳半の安アパートの近くのスナックが夜の学校でした。
金の無い僕でしたが皆さんが可愛がってくださいました。
まだカラオケもない時代、ママが歌う伴奏を僕のギターでお手伝いしたりもしました。
おかげでママさんにはいろいろとご馳走にもなりました。
東武東上線「東武練馬」駅周辺のお店の方々にはお世話になった感があります。

書で影響を受けたのが演劇界でも新しい風を吹かせていた寺山修司さんでしょうか?
また小田実さんにも共感して、その書『何でも見てやろう!』はヒッチハイクをするようになった発端を作ってくれた本でもあります。
寺山修司さんの書『書を捨てよ、街へ出よう!』も感銘を受けました。

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その当時から僕は以前よりまして行動的になったような感じがします。
先程も書いたようにとにかく貧しかったですから、贅沢は出来ません。
逆に盗られるものがありませんから怖いものもなしです。
アルバイトで多少の金額がたまると寝袋を背負ってリュック1つでヒッチハイカーとなって全国に出かけました。
ガソリンスタンドで給油されるドライバーさんに声をかけ乗車させて頂きました。
おそらくは100台以上の車に乗せて頂いたに違いありません。
本当を言えば、海外にも行くべきだったかもしれません。
が、当時は1ドル360円という時代、海外旅行へ行くなんてとてもじゃないが裕福じゃないと難しい時代でした。
当時の新婚旅行は殆どが宮崎など、国内でした。
また英語が特に苦手といったこともその理由だったかもしれません。
そこは若干、後悔に似た感情を持つことも正直あります。

経験は大きな財産になるモノだと思います。
個人的には、口にする、物を語るだけではなくとにかく動いてみる事の重要性が身についてきた感じがしています。
理論ではなく経験からくる言葉を大切にするようにもなってきました。

仕事上、若い人たちとの接点が数多くあります。
もっといろいろな事を知って欲しいと思います。
経験を大事にしてほしいと願います。
様々な事に関心を持って頂きたい、何にでも興味を持つと人生が楽しくなるに違いないと思っています。
健康は何よりの財産です。
健康体である若い時代にはチャレンジングに生きて頂きたいと願っています。
一度きりの人生だからこそ、しっかりと前を向いて歩んでほしいものです。
悔いの無いようにしていただきたいですね。

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大学生の多くが就職の際、起業を考えるようです。
望ましい事だと考えます。
関与する企業の中にも夢を持ち、熱のある人を見かける事があります。
そんな時には、僕も何か嬉しくなります。
ついつい積極的にこちらからもアドバイスしたくなります。
自分が出来なかった事や、かなわなかった夢を彼らに託したくなることもあります。

頑張って欲しいものですね!!皆さん。