「あとよく持ちこたえて6ヶ月程度と考えておいてください」今年2月のある日、父親の入院先の主治医からの宣告がありました。予想はしていたもののショックでした。年齢的には今年の誕生日で84歳、男の平均寿命は79歳ですから平均寿命は超えているものの、自分の中の大切な何かが壊れていくような感じでした。
誰よりも怖かった親父、拳骨で殴られて泣いたこと、夜中に家の外へ追い出された事、厳しかった思い出が浮かびます。けれど人一倍優しかった親父、親父の自転車に乗って後部座席の僕はつい手を離したスキに持っていた大切な風船を飛ばしてしまいました。その風船をどこまでも追いかけてくれた親父、ちょうど僕の夢を追いかけるように親父は一生懸命でした。
教員として僻地の中学校を剣道で県内準優勝させたり、進学希望の生徒を教員住宅の自宅に呼んで指導したり、不良校といわれた学校をモデル校へと変えたり、34歳での教頭、42歳での校長は岐阜県内ではその情熱を買われた最も若い就任でした。
今日、僕はだんだんと衰退していく親父のひげを剃りました。強かった親父のイメージはもうありません。ほとんど白髪だらけのひげを丁寧に傷をつけないように剃っていきました。
「いいか、人は知識じゃないんだ、それを活用する知恵が大切なんだ」「人は運がいいというが、運は自分で創っていくもの」「目標という山に登るにはいくつもの障害となる谷を渡らねばならないんだよ」・・・いくつもの言葉を僕に語ってくれた親父の口がすぐそばにあります。
「もっといろいろと教えてくれよ、お父さん」今や、でも親父の言葉は力を持ちません。ただうなずくだけの親父がそこにいます。独立して2年4ヶ月、僕の仕事は随分と忙しくなってきました。半面、父親の面倒を見る時間が限られてしまっています。正直、申し訳ないという気持ちが自分を責めたりもします。
先月仕事上の多忙さのピークを迎えました。今月は思い切って仕事を減らしました。少しでも悔いの無いように親父との時間をつくる為もあります。(今まで本当にありがとう、お父さん。一日でも一時間でも長く生きてください。)時間の経過と共に衰えを隠せない親父、この18日、親父の84歳の誕生日が訪れます。