カテゴリー:一般の記事
author: Masahiko Kato
様々な企業とご縁を頂いている中で一番数多く「テーマ」となって依頼されるのがマネージャーやリーダーの意識を高めて欲しいというものです。
僕が最初にテーマとして書かせて頂いた書も『強い部隊のつくり方』でした。
現実にサラリーマン時代の成功体験は、まさにリーダーが頑張った証そのものでした。
実体験としての成功ストーリーは机上論とは違って受講者のみなさんの心に響くものがあると思います。
今回も顧問会社の管理者研修の題材でいかにしてマネージャーやリーダーはメンバーの心に火をつけていくかをテーマアップしました。
今回は「叱り方・褒め方」の勉強会でした。
最初に皆さんに質問をしてみました。

<メンバーに対して>
まずは叱り方
・叱る目的は何ですか?
・叱ると怒るの違いは何ですか?
・上手な叱り方の例を挙げてみてください。
・叱る前にしておくべきことは何ですか?
・メンバーを叱って成功した例がありましたらお書き下さい。

もう一つは褒め方
・褒める事の目的は何ですか?
・具体的に、どう褒めたらよいでしょうか
・褒める事と、おだてる事はどこが違いますか?
・照れをどう克服しますか?
・メンバーを褒めてうまくいった例を挙げてみてください?

このブログでもかつてのサラリーマン時代を振り返っての話を紹介してきました。
褒められるなんてことがなかった若き営業マン時代、ほとんど毎日が叱られることの連続だったような記憶があります。
「うちの会社は頑張って結果を残しても褒められませんね」という若かりし頃の僕の質問に、上司からは「何も言われない事が褒められていることと思え」と言われたりもしました。
ハラスメントが叫ばれるようになってからは、上司のパワハラが問題視されてきて、メンバーに対してもいろいろと考えながら気を遣って接するようになってきました。
どうやら現在は、褒める事が主流になってきたような感覚で、大きな声を出してメンバーを叱咤する上司の姿を見る事が少なくなってきているように僕の目には映ります。
ただ、この褒める事と、叱る事は双方ともに大切な事と考えたいものです。
少なくとも自分たちの組織を業績向上に結びつけていく為には、リーダーやマネージャーは覚悟を持ってメンバーに接していく事が不可欠です。
それが出来るかできないかが、良きマネージャー、良きリーダーの大きな目安になると言ってよいでしょう。
そこにあって大切な事は常日頃からメンバーとのコミュニケーションをしっかりと取っておく事に他ありません。
またどこまでメンバーの気持ちを汲んで、愛情を持って成長に結び付けていくかも重要ですね。
褒める事が甘やかすことにならないように、メンバーのモチベーションが上がっていくように、例え成果に結びつかなくとも感謝の気持ちを伝えて、あのリーダーの為なら頑張れると思われるような関係つくりが出来ればと思います。

簡単ではないでしょうが、メンバーの話を真剣に聞いてあげる事も大切な務めですね。
メンバーの目線で叱る事、叱った後のフォローも忘れないようにしたいものです。
僕が最初にテーマとして書かせて頂いた書も『強い部隊のつくり方』でした。
現実にサラリーマン時代の成功体験は、まさにリーダーが頑張った証そのものでした。
実体験としての成功ストーリーは机上論とは違って受講者のみなさんの心に響くものがあると思います。
今回も顧問会社の管理者研修の題材でいかにしてマネージャーやリーダーはメンバーの心に火をつけていくかをテーマアップしました。
今回は「叱り方・褒め方」の勉強会でした。
最初に皆さんに質問をしてみました。

<メンバーに対して>
まずは叱り方
・叱る目的は何ですか?
・叱ると怒るの違いは何ですか?
・上手な叱り方の例を挙げてみてください。
・叱る前にしておくべきことは何ですか?
・メンバーを叱って成功した例がありましたらお書き下さい。

もう一つは褒め方
・褒める事の目的は何ですか?
・具体的に、どう褒めたらよいでしょうか
・褒める事と、おだてる事はどこが違いますか?
・照れをどう克服しますか?
・メンバーを褒めてうまくいった例を挙げてみてください?

このブログでもかつてのサラリーマン時代を振り返っての話を紹介してきました。
褒められるなんてことがなかった若き営業マン時代、ほとんど毎日が叱られることの連続だったような記憶があります。
「うちの会社は頑張って結果を残しても褒められませんね」という若かりし頃の僕の質問に、上司からは「何も言われない事が褒められていることと思え」と言われたりもしました。
ハラスメントが叫ばれるようになってからは、上司のパワハラが問題視されてきて、メンバーに対してもいろいろと考えながら気を遣って接するようになってきました。
どうやら現在は、褒める事が主流になってきたような感覚で、大きな声を出してメンバーを叱咤する上司の姿を見る事が少なくなってきているように僕の目には映ります。
ただ、この褒める事と、叱る事は双方ともに大切な事と考えたいものです。
少なくとも自分たちの組織を業績向上に結びつけていく為には、リーダーやマネージャーは覚悟を持ってメンバーに接していく事が不可欠です。
それが出来るかできないかが、良きマネージャー、良きリーダーの大きな目安になると言ってよいでしょう。
そこにあって大切な事は常日頃からメンバーとのコミュニケーションをしっかりと取っておく事に他ありません。
またどこまでメンバーの気持ちを汲んで、愛情を持って成長に結び付けていくかも重要ですね。
褒める事が甘やかすことにならないように、メンバーのモチベーションが上がっていくように、例え成果に結びつかなくとも感謝の気持ちを伝えて、あのリーダーの為なら頑張れると思われるような関係つくりが出来ればと思います。

簡単ではないでしょうが、メンバーの話を真剣に聞いてあげる事も大切な務めですね。
メンバーの目線で叱る事、叱った後のフォローも忘れないようにしたいものです。
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author: Masahiko Kato

有難いことですが食欲があります。
年齢とは裏腹にすこぶる順調に食に関心があります。
現在の毎日の一番の楽しみは食べる事と言ってもよいかもしれません。(笑)
近辺に興味があるお店を見つけると、多少遠方であっても人を誘っては足を運びます。
ただそうなると心配なのは体重の増加ということになります。
周囲からは太りすぎとか言われて、痩せる事が必要という意識もあります。
先日、毎年恒例で受診している人間ドッグに行ってきました。
体重や血圧に関しては毎朝計測していますので大体は理解しています。
ここの所、年を得る毎に人間ドッグの結果が悪化してきています。
今回は昨年から運動量を増やして数値の改善をしたく考えていました。
詳しい結果が手元に届くのは受診後2週間後という事ですのでまだ手元にはありません。
が、当日の検査結果を頂くことが出来ました。

体重は昨年から1.1㎏減でしたが、僕の身長であれば本来は66㎏が理想とされており現状の肥満度は113%でありました。
これは今後の大きな課題で今年は真剣にトライしていく予定です。
とりあえずは70キロを目標値にします。
嬉しかったのは肝機能が改善されてきたこと、糖尿病の症状(値)が低くなってきていることでしょうか。
それと年々内臓脂肪が増えてきていて昨年は117平方センチだったのが、今年は87平方センチに減っていたのが嬉しかったですね。
また脳・心血菅病のリスクが高かったのが正常値に改善されていました。
担当された看護師さんが驚かれて、私の書類にはなまるを付けて下さいました。
幼い子供たちだけでなく、はなまるは付けて頂くとつくづく嬉しいものですね。
昨年から週5回以上は有酸素運動でウォーキングを1時間程度実践しています。
手術後の足をかばいながら歩くことは正直ハンディを背負っている感覚であまり気持ちの良いものではありません。
当初は嫌々で歩くことが日常でした。
こうなるともう自分との戦いになってきます。
意志が強いかどうかという問題です。
「負けるものか!」といった感覚で動きます。
地道な運動の継続の成果が多少出てきたのかと自負しています。

不思議なもので運動をしないと何となく不安です。
動くことの魅力に少しずつですがとりこになりつつあります。
今年になってからも1月は20日間はしっかりと運動が出来ました。
全く体を動かさなかった日がそれでも6日間ありました。
どうしても仕事の関係で運動にまで時間が取れないという事もありました。
そこもまた改善です。
仕事が1番だったのを、体を1番にするように方向転換です。
2月に入ってからは今日までに16日間運動を実践した日となってきています。
徐々にではありますが、体を動かす動作が当たり前化してきたということになります。
寒い日は重装備で、雨の日には傘を差しながら愚直に歩きます。
耳にはイヤホン、大好きなフォークソングを聞きながら、また最近何故か好きになってきた演歌も耳にして・・・。
僕の仕事は人を元気にする仕事です。
企業を業績向上に結びつける仕事です。
これは健康体であることが義務付けされていると言って過言でないように思われます。

「ああ、面白い人生だった」と終われるように・・・。
そろそろ人生のラストランも近づいてきた自分自身にもう一つ喝を入れたいと思います。
カテゴリー:一般の記事
author: Masahiko Kato
懐かしい若き日、多感な時期だけに悩み、迷い、虚しさも味わった思いがあります。
そんな時代は逆に、様々なものに興味を抱き、関心を持ったことも事実です。
浪人時代、その後の学生時代、とにかくお金だけはなかったですね。
振り返るとなんであんなに空しさを感じていたのか、大学へ行くより金銭的に不自由でしたからアルバイトばっかりの日々でした。
家庭教師、牛丼店、居酒屋、キャッチ販売、ビール運送、地図の営業、スーパー店員、ガードマン等色々とやりました。

学生時代、そんな中で影響を受けたのは映画と書物、そして音楽でした。
池袋の深夜映画、学生たちでいつも満員状態でしたね。
キャストの一人一人が映像に出てくるたびに歓声が沸きいつも盛り上がっていました。
やくざ映画に出てくる高倉健さんは当時の僕の中ではヒーローでした。
反体制の姿勢が観客に受けたのでしょうね。
その後、山田洋二監督の「幸せの黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」の健さんはもっと好きになりましたが・・・。

音楽はフォークソング全盛時代で毎日のようにギターを抱えて歌っていました。
今でも大好きでウォーキングの度に耳にしている吉田拓郎、岡林信康、加川良、高田渡などはもう夢中でしたね。
自分でもオリジナルで作詞・作曲していろいろと歌っていました。
ギターは何よりの心のよりどころだったような気がします。
夜は4畳半の安アパートの近くのスナックが夜の学校でした。
金の無い僕でしたが皆さんが可愛がってくださいました。
まだカラオケもない時代、ママが歌う伴奏を僕のギターでお手伝いしたりもしました。
おかげでママさんにはいろいろとご馳走にもなりました。
東武東上線「東武練馬」駅周辺のお店の方々にはお世話になった感があります。
書で影響を受けたのが演劇界でも新しい風を吹かせていた寺山修司さんでしょうか?
また小田実さんにも共感して、その書『何でも見てやろう!』はヒッチハイクをするようになった発端を作ってくれた本でもあります。
寺山修司さんの書『書を捨てよ、街へ出よう!』も感銘を受けました。

その当時から僕は以前よりまして行動的になったような感じがします。
先程も書いたようにとにかく貧しかったですから、贅沢は出来ません。
逆に盗られるものがありませんから怖いものもなしです。
アルバイトで多少の金額がたまると寝袋を背負ってリュック1つでヒッチハイカーとなって全国に出かけました。
ガソリンスタンドで給油されるドライバーさんに声をかけ乗車させて頂きました。
おそらくは100台以上の車に乗せて頂いたに違いありません。
本当を言えば、海外にも行くべきだったかもしれません。
が、当時は1ドル360円という時代、海外旅行へ行くなんてとてもじゃないが裕福じゃないと難しい時代でした。
当時の新婚旅行は殆どが宮崎など、国内でした。
また英語が特に苦手といったこともその理由だったかもしれません。
そこは若干、後悔に似た感情を持つことも正直あります。
経験は大きな財産になるモノだと思います。
個人的には、口にする、物を語るだけではなくとにかく動いてみる事の重要性が身についてきた感じがしています。
理論ではなく経験からくる言葉を大切にするようにもなってきました。
仕事上、若い人たちとの接点が数多くあります。
もっといろいろな事を知って欲しいと思います。
経験を大事にしてほしいと願います。
様々な事に関心を持って頂きたい、何にでも興味を持つと人生が楽しくなるに違いないと思っています。
健康は何よりの財産です。
健康体である若い時代にはチャレンジングに生きて頂きたいと願っています。
一度きりの人生だからこそ、しっかりと前を向いて歩んでほしいものです。
悔いの無いようにしていただきたいですね。

大学生の多くが就職の際、起業を考えるようです。
望ましい事だと考えます。
関与する企業の中にも夢を持ち、熱のある人を見かける事があります。
そんな時には、僕も何か嬉しくなります。
ついつい積極的にこちらからもアドバイスしたくなります。
自分が出来なかった事や、かなわなかった夢を彼らに託したくなることもあります。
頑張って欲しいものですね!!皆さん。
そんな時代は逆に、様々なものに興味を抱き、関心を持ったことも事実です。
浪人時代、その後の学生時代、とにかくお金だけはなかったですね。
振り返るとなんであんなに空しさを感じていたのか、大学へ行くより金銭的に不自由でしたからアルバイトばっかりの日々でした。
家庭教師、牛丼店、居酒屋、キャッチ販売、ビール運送、地図の営業、スーパー店員、ガードマン等色々とやりました。

学生時代、そんな中で影響を受けたのは映画と書物、そして音楽でした。
池袋の深夜映画、学生たちでいつも満員状態でしたね。
キャストの一人一人が映像に出てくるたびに歓声が沸きいつも盛り上がっていました。
やくざ映画に出てくる高倉健さんは当時の僕の中ではヒーローでした。
反体制の姿勢が観客に受けたのでしょうね。
その後、山田洋二監督の「幸せの黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」の健さんはもっと好きになりましたが・・・。

音楽はフォークソング全盛時代で毎日のようにギターを抱えて歌っていました。
今でも大好きでウォーキングの度に耳にしている吉田拓郎、岡林信康、加川良、高田渡などはもう夢中でしたね。
自分でもオリジナルで作詞・作曲していろいろと歌っていました。
ギターは何よりの心のよりどころだったような気がします。
夜は4畳半の安アパートの近くのスナックが夜の学校でした。
金の無い僕でしたが皆さんが可愛がってくださいました。
まだカラオケもない時代、ママが歌う伴奏を僕のギターでお手伝いしたりもしました。
おかげでママさんにはいろいろとご馳走にもなりました。
東武東上線「東武練馬」駅周辺のお店の方々にはお世話になった感があります。
書で影響を受けたのが演劇界でも新しい風を吹かせていた寺山修司さんでしょうか?
また小田実さんにも共感して、その書『何でも見てやろう!』はヒッチハイクをするようになった発端を作ってくれた本でもあります。
寺山修司さんの書『書を捨てよ、街へ出よう!』も感銘を受けました。

その当時から僕は以前よりまして行動的になったような感じがします。
先程も書いたようにとにかく貧しかったですから、贅沢は出来ません。
逆に盗られるものがありませんから怖いものもなしです。
アルバイトで多少の金額がたまると寝袋を背負ってリュック1つでヒッチハイカーとなって全国に出かけました。
ガソリンスタンドで給油されるドライバーさんに声をかけ乗車させて頂きました。
おそらくは100台以上の車に乗せて頂いたに違いありません。
本当を言えば、海外にも行くべきだったかもしれません。
が、当時は1ドル360円という時代、海外旅行へ行くなんてとてもじゃないが裕福じゃないと難しい時代でした。
当時の新婚旅行は殆どが宮崎など、国内でした。
また英語が特に苦手といったこともその理由だったかもしれません。
そこは若干、後悔に似た感情を持つことも正直あります。
経験は大きな財産になるモノだと思います。
個人的には、口にする、物を語るだけではなくとにかく動いてみる事の重要性が身についてきた感じがしています。
理論ではなく経験からくる言葉を大切にするようにもなってきました。
仕事上、若い人たちとの接点が数多くあります。
もっといろいろな事を知って欲しいと思います。
経験を大事にしてほしいと願います。
様々な事に関心を持って頂きたい、何にでも興味を持つと人生が楽しくなるに違いないと思っています。
健康は何よりの財産です。
健康体である若い時代にはチャレンジングに生きて頂きたいと願っています。
一度きりの人生だからこそ、しっかりと前を向いて歩んでほしいものです。
悔いの無いようにしていただきたいですね。

大学生の多くが就職の際、起業を考えるようです。
望ましい事だと考えます。
関与する企業の中にも夢を持ち、熱のある人を見かける事があります。
そんな時には、僕も何か嬉しくなります。
ついつい積極的にこちらからもアドバイスしたくなります。
自分が出来なかった事や、かなわなかった夢を彼らに託したくなることもあります。
頑張って欲しいものですね!!皆さん。
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author: Masahiko Kato

大和ハウス工業がこの4月から初任給を挙げるとのこと、しかもどうやらその金額が半端でなく10万円上げるとのことらしいですね。
そうだとしたら現行から38~43%増、当然ながら2年目以上の正社員さん達も軒並み上昇となって、年収ペースで10%は上がるということになるでしょう。

すごいですね。
そうなると軒並み住宅大手のメーカーも右に習え?ということになるのでしょうか?
大和ハウス工業・・・さすがは5兆円企業です。
1955年に創業、積水ハウスが創立が1960年ですからプレハブ業界の先陣を切った会社です。
今では単体で社員数16135名、連結では48483名(2024年3月末現在)のビッグ企業となっています。
1兆円企業になるのは積水ハウスの方が速かった記憶があります。
我々がしゃにむになって頑張っていた時代です。
ところが大和ハウスさん、実力発揮というか、泥臭さも感じますが、駅周辺などの土地のオーナーさんに対しての対策は凄いですね。
スキのない営業、地域にしっかりと密着した営業スタイルは不変です。
今や、住宅だけでなく周辺事業はもちろん、様々な事業への展開にチャレンジしておられます。
総合商社にも似たバイタルティ溢れた企業のイメージですね。
テレビのコマーシャルなども最近はヒット、かつてのイメージとは売って変わってきています。
初任給アップの理由はと言えば、人材不足が原因と言えるでしょう。
採用環境が厳しい中、少しでも優秀な人材を確保したいという思いが反映されたものと思われます。

僕が積水ハウスに就職した時の初任給が86000円でした。
明確に覚えています。
但し、営業手当が一律20000円ついていました。
また契約や、着工、売り上げによって歩合が加算されましたからトップ営業ともなれば結構多くの収入を得る事が可能でした。
そうは言っても今と違ってコンプライアンスなんて守られていない時代、1日の労働時間は16時間ぐらいではなかったかと振り返ります。(毎日ではないですが…。)
時間給を計算すると激安だったかもしれませんね。
またハラスメントも日常茶飯事だったような感じがします。
住宅業界はかつて3Kとも言われていました。
きつい・汚い・危険の3Kです。
そういわれた過去から見つめると随分な変わりようでもあります。
住宅メーカーの社員さん達の年収が上がって、入社したいという優秀な人材が確保されることは望ましい事だと思っています。
ただそうなるとこのところ気になっている住宅の価格がまた上昇するのではないのかと疑問視もしてしまいます。
何か、富裕層だけをターゲットにする会社になってしまうような感覚がしてなりません。

現に賃貸住宅の契約金額が半端ではありません。
かつては2階建てアパートが主流でしたが、今や皆高層のマンションが殆どです。
平均の受注金額が1棟当たり1億円近くの金額にここへきて跳ね上がってきています。
また、戸建て住宅の1棟当たりの契約単価も坪単価が120万円以上と、普通のサラリーマンには土地まで考慮すると手が届かない状況になっているように思えてなりません。
特に都市部においては1戸建ての「家」を持つのは、親からの土地があればなんとかなるでしょうが、そうでもない限りは困難な状況になっているように感じます。
庶民の味方なんて状況ではなくて、手が届かない住宅メーカーになりつつあります。
いろいろな問題が存在します。
来るべく大地震に対応できる様な強い構造体の住まいを提供する様にようにしている事。(壊れるかどうかは不可解ですが…)
建築資材が軒並み値上げ(今後も続くでしょう)という状況。

かつてこのブログでも書きましたが、住宅がビルダーの時代に戻って来ている、そんな感覚があります。
何かもっとドラスチックな価格ダウンの方策がないものでしょうか?
土地には付加されていない消費税、海外の国では住宅に付加されていない国も現実に存在しています。
日本における住宅にもそのあたりの工夫が欲しいものです。